褒める教育の落とし穴

雑記

今回の文献:『ケーキの切れない非行少年たち』著・宮口幸治

お元気様です!

登る保育士ホイクライマーです。

先日、王将のチャーハンセットと、まるごとバナナのコンボで、体重が爆増しました。

カロリーの恐ろしさを改めて感じる今日この頃です。

でも、登るとガッツリ食べたくなっちゃうんですよね・・・。

さて、今回は「褒める教育の落とし穴」について、お話ししていきたいと思います。

様々な教育法がありますが、その中でも褒めることを否定する人はあまりいないのではないでしょうか?

保育現場や、教育現場でも基本は褒めるスタンスでしょう。

いいところを見つける→褒める→自己肯定感を上げる→いい行動に繋がる

これが、基本になっていると思います。

しかし、そこには落とし穴もあるのです。

今回の記事は、褒めるだけでいいのだろうか?、教育について深く考えたい、身近な子どもが何かにつまずいている、という方には参考になると思います。

ぜひ、楽しんでいってください。

褒めることの落とし穴

褒めることの大きな落とし穴は、

いい所を見つけて褒めることが、根本的な解決になっていないことが多い

ということです。

例えば、

初めてのことに消極的。

といった躓きがある時を考えてみましょう。

自分に自信がないから消極的になる→いい所を褒めたり、何かが出来るようになり自信をつけさせる→積極的になる。

と、考えられがちです。

もちろん、それで積極的になれば、効果的な方法なのでしょう。

しかし、根本が身体の不器用さや、語彙力の低さなどから来ていたとしたらどうでしょう?

自信をつけても、根本的なつまづきは解決していません

これでは、環境が変わったりすれば、また消極的になっていくかもしれません。

これは運動や、勉強など、様々なことに言えます。

「勉強が苦手だけど、運動能力はすごいよね!」

この褒め方をしたところで、勉強は苦手なままなのです。

根本的な問題を解決するために褒めているのならいいのです。

しかし、根本の問題から目をそらすための、免罪符に使われやすいことも事実なのです。

長所を伸ばす教育はいけないの?

では、長所だけ伸ばしていてはいけないのでしょうか?

昨今は、「苦手なことは無理に頑張らなくてもいい。得意なことを伸ばしていく。」

という、考え方も多く見られます。

もちろん、それを否定するつもりはありません。

ぼくもどちらかというと、そちらの考え方です。

しかし、

「本当は出来るようになりたいけれど、諦めている、困っている」

ことは、しっかり見つけて、フォローしてあげる必要があるでしょう。

そうでなくても、四則演算、読解力、対人スキルなど、ある程度身につけておいた方がいい能力は、つまづきを見つけ、その子に合わせたフォローが必要です。

つまづきは非行に繋がりやすい

また、学習面、対人関係、身体の不自由さなどのつまづきが、非行への入り口となりやすいこともわかっています。

勉強がわからない→学校に行かなくなる→反社会的なグループへ属していく

上手く人と関われない→居場所を作れない→孤立やいじめから非行へ

反対に、そのつまづきを解消するだけで、大きく自己認識が変わることもあります。

つまづきは、子どもたちからの一つのSOSなのです。

それを見逃してしまうと、小学校→中学校→高校と上がっていくごとに、そのつまづきを拾い上げるのが難しくなっていきます。

特に社会に出てしまえば、そのつまづきが「サボっている」「やる気がない」と、されてしまうことも多く、生活できず、非行へと繋がってしまう現実もあります。

もちろん、全ての人が非行に走るわけではありません。

でも、一側面としてあるだけでも、つまづきを解消していく重要性はあるのだと思います。

なにより、子どもがより楽しく生きるために。

勉強をする以前の子もいる

また、学習面のつまづきの中には、勉強をする以前の段階にある子もいます。

それが認知能力の弱い・ゆがんでいる子です。

認知能力とは、聞く力や見る力など、全ての物事のベースになる能力です。

聞く力が弱ければ、話にすぐついていけなくなります。

見る力が弱ければ、字や黒板を上手く写すことが出来ません。

字を写すことが出来なければ、文字を覚える、計算をするなど様々なところにつまづきが出てしまいます。

認知能力の低さは、先天的なもの、生育歴、知的障害など、様々な要因から起こります。

つまづきに気付き支援する際、認知行動療法が使われがちです。

しかし、認知行動療法は認知にゆがみがない場合に効果的なものです。

認知のゆがみがある場合には、まずはそのゆがみを戻していかなければ、その後の支援も効果が弱くなってしまうのです。

そういういう意味でも、つまづきの原因がどこにあるかを丁寧に見極める必要があるのです。

認知の力を向上させていく方法

では、どのように認知の力を向上させていき、ゆがみをなくしていけばよいのでしょう。

今回の参考文献の中では、「コグトレ」という方法が推奨されています。

これは聞く、見るなどの、それぞれの認知能力に合わせたゲームのようなトレーニング方法です。

例えば、

点と点を結んで作られた図形を、写して描く「点つなぎ」

出題者が3つの文章を読み上げ、それぞれの文章の最初の単語を覚えてもらいながら、文章に動物の名前が出てきたら手を叩く「最初とポン」

など楽しく遊び感覚で、認知機能を高めていけるトレーニングです。

短時間で出来るものなどもあり、毎日の朝の会などに取り入れることも出来ます。

また、ゲーム感覚で出来るので、失敗しても子どもが傷つかず、再チャレンジしやすくなっています

褒めることは一つの手段

「褒める」こと、「自己肯定感」を上げること。

これらは万能薬のように扱われがちです。

しかし、つまづきや、自己肯定感の低下の原因が、「認知のゆがみ」や「身体面の不自由さ」、「コミュニケーションの取り方」がよくわからないなどから来ていたとしたら、「褒める」ことは解決策になるでしょうか?

「自己肯定感」は上がるのでしょうか?

きっと褒める前にやることがあるはずです。

そして、つまづきを少しでも解消出来た時に、褒めればよいのだと思います。

褒めることは一つの手段です。

問題の解決に、それが最善のこともあるでしょう。

それであれば迷わず使えばいいと思います。

しかし、そうでないならば、褒めることに逃げずに、つまづきや問題の本質に目を向け、そこをフォローしてあげるのが、一番大切なことなのではないでしょうか?

まとめ

いかがだったでしょうか?

今回は褒めるだけでは解決しない、つまづきについてお話してきました。

一見キラキラと輝いて見える「褒める」という教育法。

でも、その眩しさで、つまづきの本質を見逃してしまっては本末転倒です。

どうしたら、つまづいて困っていることを解消できるのかを、考えるようにしていきたいですね。

また、記事内では、一般社会の中での褒める教育にフォーカスしていますが、『ケーキの切れない非行少年たち』の中では、少年院での実際に非行を起こした子どもたちの様子や、その子たちへの教育の様子も詳しく語られます。

その少年たちは決して特殊な訳ではなく、一般社会と地続きであることを思い知らされる内容となっています。

この記事を読んで、興味を持った方、より深く知りたい方は、ぜひ本書をお手に取ってみてください。

本当にたくさんの衝撃と、学びを得ることが出来ると思います。

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