文:内田麟太郎 絵:市居みか 出版:文研出版
ピンチになると、しっぽを切り離して逃げるトカゲ。
本体についている、頭、足、胴体などは間違いなくトカゲの一部だと思います。
じゃあ、切り離されたしっぽは果たしてどこに属するのでしょうか。
トカゲ?それとも別のもの?
あらすじ
ある日、トカゲが昼寝をしていました。
そこへトンビがやってきて、トカゲのしっぽを鷲掴み。
しっかりと抑えられ逃げられないトカゲは、しっぽを切り離して走り去っていきました。
しっぽが助けを求めてもおかまいなし。
「また生えてくるから」と行ってしまいました。
トカゲに逃げられて、イライラしていたトンビは、しっぽをおもちゃにしてグルグル回して後、しっぽを捨てて飛び去っていきました。
捨てられたしっぽは、日の光にじりじりと焼かれ、干からびそうになっていました。
干乾しになりかけたその時、カナブンのおじさんがやってきました。
そして、しっぽを褒めました。
「トカゲの身代わりになって助けたんだな。えらい」と。
でも、しっぽは全然嬉しくありませんでした。
喜ぶどころか、「元の姿に戻りたい」と泣くしっぽを見て、カナブンのおじさんは困りました。
カナブンのおじさんはしばらく考えた後、いいことを思いつきました。
「トカゲはまたしっぽが生えてくる。しっぽからだってトカゲが生えてくるかもしれない」と言うのです。
しっぽはやってみることにしました。
二人で歌を歌い始めます。
本当にしっぽからトカゲが生えてくることなんてあるのでしょうか。
『ぼくだってトカゲ』の素敵なところ
- トカゲのしっぽに焦点を当てる着眼点
- 比喩や擬音が満載の躍動感や危機感溢れる文章
- まさかの解決策
トカゲの絵本は数あれど、しっぽを主人公にした絵本は中々ありません。
しかも、しっぽとは別に自我を持ち、考えるのです。
たしかに、切り離された尻尾はしばらく動いていたりと、別の生き物みたいに見えます。
そこには「トカゲのしっぽは、果たしてトカゲなのか?」という哲学的な問いも垣間見えます。
子どもも大人も言われるまでは気付かないけれど、言われてみると深く考えこんでしまいます。
そんな物語は様々な危機の連続です。
トカゲがトンビに食べられそうになり、逃げ出して、しっぽはおもちゃにされて、捨てられれば干からびそうになる。
もう、しっぽは大変です。
その危機感や躍動感が比喩満載の文章で展開されていきます。
トンビに掴まれもがくしっぽの様子は
「罠にかかったイノシシよりも、もっと激しく」
逃げるトカゲを引き留めようとする時は
「尻尾のないトカゲなんて足のあるヘビよりもっと変です」
など、様々な比喩でその様子が表現されます。
また、「ぶきんと目が飛び出しました」や「さーっとトンビが舞い降りてきて」のように擬音もふんだんに使われます。
この比喩と、擬音、そして臨場感たっぷりのセリフ回しで、物語のぐいぐいと見ている人を惹き込んでしまうのです。
そして、まさかのしっぽからトカゲを生やすという解決策。
ある程度生き物への知識がある子ほど、「しっぽからは生えないよ!」と声をあげます。
しかし、その結末を見て、混乱しつつ、新しい説を考えるなど議論が広まるのがおもしろいところ。
子どもたちに新たな目線を与えてくれているようです。
トカゲではなくそのしっぽに注目した。
読めば、しっぽへの見方や常識が変わる絵本です。
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