作:レオ=レオニ 訳:谷川俊太郎 出版:好学社
子どもからよく聞く言葉。
「ぼくの!」「私の!」「使ってたよ!」
そんな姿と仲良く使う気持ちよさ。
それを3匹のケンカ好きなカエルを通して見せてくれる絵本です。
あらすじ
にじがいけの真ん中に小さな島があり、そこには3匹のケンカ好きのカエルが住んでいた。
名はミルトン、ルーバート、リディア。
3匹は明け方から夕暮れまでケンカのし通しだった。
ミルトンは「池に入るな!ぼくの水だぞ!」と言い、
ルーバートは「島から出ていけ!ぼくの地面だぞ」と言う。
リディアも「私の空気よ!」とチョウチョを追って飛び上がりながらわめいていた。
ある日、大きなヒキガエルが3匹の前に現れた。
島の向こう側に住んでいるヒキガエルは、
「一日中聞こえてくる「ぼくのだ!私のよ!」がうるさくてかなわないから、ケンカはやめてくれ」と言って帰っていった。
しかし、ヒキガエルが行ってしまうと、3匹はまたケンカを始めるのだった。
すると突然、島が嵐に襲われた。
大雨で水が溢れ、3匹の住んでいた島はどんどん水に飲み込まれていった。
3匹は恐ろしさに身を震わせながらも、一つだけ残った岩に身を寄せて集まった。
みんな一緒だと、少し元気になった。
やがて雨がやみ、水も引いていった。
安心した3匹が乗っていた岩を見てみると、そこには・・・。
これを機に、3匹は仲良くなれるのでしょうか。
『ぼくのだ!わたしのよ!』の素敵なところ
- 3匹のカエルを通してみる、ケンカしている時の客観的な自分
- 「ぼくのだ!わたしのよ!」をキーワードに振り返るきっかけになる
- 3匹のカエルとリンクして成長する自分
3匹のカエルを通して見せてくれるのは、日常的によくあるケンカの場面です。
「ぼくの!」「私の!」という、子どもがよく口にする言葉。
それを元に起こるケンカ。
子どもにとって、それらはまさに自分たちの姿に他なりません。
ケンカしている時は客観的には見られないけれど、カエルの姿を通してだとケンカしている時の姿を客観的に見られます。
それと同時に、ケンカしている時に客観的に自分の姿を考えるスイッチもあるのが面白いところ。
それが「ぼくのだ!私のよ!」という言葉です。
子どもはよくこの言葉を口にします。
そんな時、「あ、カエルさんみたいになってる」と言ってみると、面白いほどに自分の姿をカエルと重ね合わせ始めます。
そして、それぞれなりの答えを出します。
突っぱねる子もいれば、カエルのように一緒に使う子もいます。
でも、どの子も一回カエルになってみるのです。
これは3匹のカエルが、魅力的かつ、子どもが自分を投影するくらい子どもらしく描かれているからだと思います。
それは、物語の中でカエルが成長するのと一緒に、自分を投影している子どもたちも成長することを意味します。
嵐を3匹で寄り添って、乗り越えたカエルたち。
そこで、仲良く力を合わせる大切さや安心感を学びます。
それは同時に子どもたちも嵐を乗り越え学び、成長していることでもあるのです。
だからこそ、ケンカになった時に、一度カエルになって考えてみることが出来るのです。
3匹の子どもらしく魅力的なカエルを通して、自分たちがケンカをしている姿を見せてくれる。
嵐を乗り越えた成長を通して、子どもたちも成長させてくれる、そんな絵本です。
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