作:杉山亮 絵:軽部武宏 出版:ポプラ社
目も鼻もないのっぺらぼう。
その中でも、のっぺらぼうの不気味さと怖さ。
そこからの、最後の安心感のギャップが凄まじい。
心の底から「よかった~」と思える作品です。
あらすじ
昔、里の外れに一人の男の子がいました。
ある日、お母さんから薪を取りに行くよう頼まれました。
薪を取りに出かける男の子にお母さんは、終わったらすぐ帰ってくるように言いました。
暗くなると怖いものが出るからです。
山に行く途中のお寺で、和尚さんに声をかけられました。
和尚さんもお母さんと同じことを言います。
暗くなると怖いものが出るからと。
山で男の子が薪を拾っていると、ウサギが一匹飛び出して来ました。
男の子はお母さんや和尚さんに言われたことをすっかり忘れ、ウサギを追いかけていってしまいました。
男の子はウサギを見失った所で気が付きました。
自分が迷子になったことに。
辺りは暗くなってきています。
男の子が山を降りていくと、ボロボロの家を見つけました。
中からは赤ん坊の泣き声と、ご飯を炊くにおいがします。
男の子はここで道を教えてもらうことにしました。
声をかけても誰も出てこないので、男の子は中に入ってみました。
すると、赤ん坊を背負った母親が火を起こしています。
でも、いくら声をかけても振り向きません。
そこで、赤ん坊の顔を覗き込んでみると・・・。
その赤ん坊は目も鼻もないのっぺらぼうだったのです。
そして、振り向いた母親ものっぺらぼうでした。
男の子は家を飛び出すと、山を駆け降りていきました。
しかし、のっぺらぼうは男の子を仲間にしようと追いかけてきます。
夢中で走っていくと、前から侍が登ってきました。
男の子が助けを求めると、侍ものっぺらぼうだったのです。
男の子はさらに逃げ、やっとのことでお寺まで帰ってきました。
そこにはまだ庭掃除をしている和尚さんの姿が。
男の子は和尚さんに助けを求めました。
ですが、振り向いた和尚さんものっぺらぼうになっていたのです。
和尚さんからも逃げ、なんとか家まで帰り着いた男の子。
お母さんにのっぺらぼうのことを話すと・・・。
『ぼっぺらぼう』の素敵なところ
- かわいくも不気味さが滲み出る絵
- わかりやすく、絶妙な怖さの語り口
- 怖さと最後の安心感のジェットコースターのようなギャップ
この絵本の絵はリアルではありません。
どちらかというとコミカルで、マスコットキャラクターのようですらあります。
しかし、妙に不気味なのです。
色使い、質感、空気感、全てのものから不気味さが滲み出ていて、何やら本能的な不気味さを感じるのです。
最初は「かわいい絵だね」「怖くないよ」と余裕だった子も、のっぺらぼうに追われる辺りから口数が少なくなり、ちゃんと怖がり始めます。
みんな、この不気味さに飲み込まれていくのです。
また、この怖さは絵だけではありません。
語り口も怖さの大きな要因の一つです。
まず、わかりやすく、何が起きているのかすぐにわかります。
次に絶妙な怖さのタメを作ってきます。
最初の「暗くなると怖いものが出るから」という忠告から始まり、忠告を忘れ、暗くなり、家を見つけ、声をかけ、覗き込む。
一つ一つの段階が、のっぺらぼうに向かって進んでいくのがよくわかるのです。
「やめたほうがいいよ」「絶対のっぺらぼうだよ」
そんなことを言っても、少しずつ進んでいく怖さへのタメ。
そして溜まりきったところで、のっぺらぼうが出てくるのです。
このわかりやすいタメの過程が、物凄く程よく秀逸なのです。
「わかっちゃいるけど怖い」
という、怪談のお約束がこれでもかと味わえます。
さらに、この絵本の一番素敵なところは、怖さから最後の場面での安心感のギャップにあると思います。
いつまで続くかわからないのっぺらぼうの怖さと、終わった時の安心感。
これが物凄くわかりやすく、かつ落差が激しく描かれているのです。
「怖い!」の後に「あー、よかった!」と心の底からほっとして終われる。
そんな心地よい「怖い」体験が出来るのです。
のっぺらぼう独特の怖さを余すところなく味わえる。
怖さと楽しさと安心感が詰った怪談絵本です。
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