文:シャーロット・ギラン 絵:サム・アッシャー 訳:高部圭司 出版:化学同人
何百年も生きてきたナラの木。
丘の上にあるその木はずっと人間たちを見てきました。
それは一体どんな景色だったのでしょう。
あらすじ
私は年老いたナラの木。
始めはドングリだったが、もう何百年も経った。
私が若い木だった頃。
野原は木で一杯で、ハンターが狩りをしたりしていた。
私がますます大きくなると、森は切り開かれて村が出来た。
私が幹をどんどん太くしていく頃。
村人たちは私のまわりの土地を耕し、時には収穫をしに来た。
私が毎年季節の変わるのを見ていると、船を作るため、たくさんの木を切り倒していった。
村には工場が建てられて、町に変わった。
さらに時が進み、蒸気機関車が走り出した。
まわりのナラの木は全てなくなり、私が最後の一本となっていた。
さらに季節は続いていき・・・。
『木は何を見てきたの?』の素敵なところ
- 定点から見続ける人間の歴史
- 木のまわりにはいつも人がいる
- 過去が未来へと繋がっていく最後
この絵本は基本的に構図が変わりません。
丘の上からずっと同じ視点で、人間の歴史を見続けます。
だからこそ、森が村へ、そして町へ移り変わっていく様子や、文明が発達していく様子がよくわかります。
もちろんそれだけではなく、木や森が消えていく様子も。
これは定点から見続けているからこそでしょう。
でも、素敵なのはそこに善悪や感情がほとんど感じられないように描かれていること。
ナラの木はただ見たままを語るのです。
「汽車が来たよ!」と文明の発達を喜ぶ子。
「木がなくなってかわいそう」と木に寄り添う子。
どんな感じ方の邪魔もしないのです。
時代が進むと、最後の一本になってしまうナラの木。
だけれど、孤独感やさみしい感じはありません。
それはきっとナラの木のまわりにいつも人がいるからでしょう。
昔は周りで働く人が。
木がなくなっていった頃は、常に遊びに来る子どもが周りにいて、遊びながら一緒に町を見下ろしているのです。
本来ならナラの木の気持ちを思えば、物悲しい雰囲気になってもおかしくありません。
ですが、この絵本でそれはあまり感じません。
本当にありのまま、そのままを受け入れ続けているのだなと感じさせてくれるのです。
ここまで、過去を振り返り現代まで来たこの絵本。
最後の場面は未来へと視点を広げてくれます。
この先の未来を見るのは、この絵本を読んでいる子どもたち。
どんな光景になるのでしょう。
車が空を飛んでいるかもしれないし、ロボットが歩き回っているかもしれません。
過去からの繋がりを見てきたからこそ、普段よりもリアルに真剣に未来の光景を考えるきっかけになるのではないでしょうか。
ナラの木の視点から、過去を見ていき、未来へと繋がっていく。
自分の過去や未来にも、いつもよりも真剣に思いを巡らせるきっかけをくれる絵本です。
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