作:ハーウィン・オラム きたむらさとし 出版:評論社
嵐のような子どもの怒り。
では、もし本当に怒ると嵐が巻き起こったとしたら・・・。
嵐で家を吹き飛ばしても、まだ怒りが収まらなかったら・・・。
あらすじ
ある晩、男の子アーサーは、テレビに夢中になっていた。
最後まで見たかったけれど、お母さんにダメと言われ、アーサーは怒った。
すると、お母さんは「怒りたければ、怒りなさい」と言った。
アーサーは怒った。
怒ると雷が鳴り、稲妻が走り、雹が降り、家の中をめちゃくちゃにした。
お母さんが、「もう十分」と言っても、アーサーは怒っている。
アーサーは、家の外に行き怒った。
怒ると嵐が吹き荒れ、街の屋根や煙突を吹き飛ばした。
お父さんが「もう十分」と言っても、アーサーは怒っている。
怒ると台風がやってきて、海が街を全てのみ込んだ。
おじいさんが「もう十分」と言っても、アーサーは怒っている。
怒ると地球にひびが入り、地球が卵のように壊れてしまった。
宇宙でおばあさんが「もう十分」と言った。
でもまだ、アーサーは怒っている・・・。
『ぼくはおこった』の素敵なところ
- 怒りのスケールが壮大過ぎる
- 思う存分怒れる
- 怒った後の子どもらしいオチ
この絵本の面白いところは、なんと言っても、怒りのスケールの大きさでしょう。
怒ると稲妻が走り、嵐を呼び、地球まで壊してしまいます。
子どもたちもこれには、
「すっげー!」
「怒り過ぎだよ!」
「おうちなくなっちゃうよ!」
と、びっくり仰天。
さらに、いくところまでいった怒りに、
「えー!?」
と、言葉を失っていました。
でも、不思議なことに、スケール感はすごいけど、
「子どもの怒っている姿って、こんな感じだよな~」
と、妙な納得感があるのも不思議な所。
全身全霊で怒っている子どもの姿と、アーサーの姿はそっくりなのです。
そして、子どもにもその実感はあるようで、
「みんなも怒るとこんな感じだよね」
と、言われても否定しきれない表情を浮かべるのでした。
さて、この絵本の素敵なところは、そのスケール感で思い切り怒れるところ。
邪魔をするものはなにもありません。
「もう十分」と声をかけられても知ったことではありません。
ただ、感情のままに怒り狂い、全てを破壊し尽せるのです。
ここまで、思い切り気持ちを発散できる機会は中々ありません。
そこにこのスケール感が加わればもう無敵です。
いつもは抑えられがちな感情を、自由に爆発させられる。
そんな素敵な世界が広がっているのです。
そうして、思いきり怒った後の、アーサーの姿も面白いところです。
その姿は、怒り狂った後の子どもそのもの。
「あの怒りは何だったんだ・・・」
と、思うような、子どもの怒りあるあるなオチに笑ってしまいます。
子どもたちも、
「あー、あるある」
と、ちょっとバツの悪そうな顔をしているのが、また面白いところ。
「私怒るとこんな感じ。嵐は起こさないけど」
と、嵐のように怒っている自覚はあるようです。
アーサーと一緒に、地球を壊すほど思い切り怒ることが出来る。
心を思い切り開放しつつも、自分が怒って嵐を起こしていることを、自覚させてくれる絵本です。
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