文:長谷川摂子 絵:川上悦子 出版:福音館書店
山に住むと言い伝えられる、ことろのばんば。
そのばんばは、子どもを壺に閉じ込めさらうという。
だから、日暮れまで、山にいてはいけないよ・・・。
あらすじ
昔、男の子と女の子が、じいさまと暮らしていた。
じいさまはいつも二人の言い聞かせていた。
「日暮れまで山におるでないぞ。ことろのばんばにさらわれてしまうでな。」と。
ある日、二人は山に栗拾いに行った。
日が暮れそうになり、女の子は帰ろうと言ったが、男の子はそれを聞かず、山の奥へ入っていった。
そのうち、男の子の姿が見えなくなったので、女の子は後を追いかけた。
あちこち探していると、向こうの木の陰に、白髪のばあさまが立っているのを見つけた。
女の子が茂みに身を隠し、見ていると、ばあさまの目の前で、男の子が栗拾いをしている。
ばあさまに気付いていないようだ。
その時、ばあさまがしゃべった。
「コートロコトロ」
すると、男の子の身体が小さくなり、ばあさまの持っている壺の中に吸い込まれてしまった。
それを見て、女の子は逃げ出した。
帰って、じいさまに男の子のことを話すと、じいさまはとても悲しんだ。
その後、じいさまは元気をなくし、段々と弱っていった。
それを見ていた女の子は、自分が男の子を助けに行く決意をした。
それを聞いたじいさまは、ごんごどっくりに酒を入れて持たせてくれ言った。
道すがら、山の神様を探しながら行くように。
そして、山の神様に会ったら、酒を差し上げ助けてもらうようにと。
女の子は山の中へと入っていった。
こんな小さな女の子が、男の子を助けることが出来るのでしょうか。
『ことろのばんば』の素敵なところ
- 丁寧に描かれる女の子の道中
- 耳に残る恐ろしい呪文
- 怖いけれどどこか悲しい物語
丁寧に描かれる女の子の道中
この絵本の大きな見どころは、女の子が一人で男の子を助けに行くところでしょう。
まずは、神様の助けを借りようとしますが、これが中々見つからない。
なぜなら、どんな姿をしているかわからないからです。
女の子はリンドウやアカゲラなど色々なものに声をかけます。
でも、中々見つかりません。
そんな中で、神様を見つけ、少しずつ力や知恵を貸してもらい、ばんばのところへたどり着く様子が、とても丁寧に描かれます。
リンドウや山の神様との会話、山の中を分け入っていく様子、ばんばを見つけた時のドキドキ感。
その全てが、まるで目の前で起こっていることのように感じられ、臨場感が物凄いのです。
この丁寧な描写があるからこそ、女の子の大変さや、絶対に助けるといった心情が、強く伝わってくるのだと思います。
子どもたちも、
「神様はどこにいるんだろう?」
「頑張れ!」
「見つからないようにね!」
と、物語に入り込んでいる様子。
女の子を必死に応援していました。
耳に残る恐ろしい呪文
ただ、心に残るのは女の子の活躍だけではありません。
物語の中に出てくる、ばんばの恐ろしい呪文も、妙に耳と心に残るのです。
それが、
「コートロコトロ」
という、子どもを壺に吸い込む呪文。
これを年老いたしゃがれ声で読むと、もの凄い耳に残るのです。
今にも、耳元でささやかれるのではと思うほどに。
絵本が終わった後、不意に「コートロコトロ」と言ってみると、後ずさりする子がいるなど、その力は物語を抜け出して、本物みたいです。
怖いけれどどこか悲しい物語
そんなドキドキ感と、恐ろしさのある物語ですが、怖いだけではないのが、この物語のとても素敵なところです。
ばんばが怒って、追いかけてくる時は、もの凄い迫力で描かれ、身の毛もよだつほどに恐ろしいです。
しかし、ばんばの心情や、なぜそんなことをしているのかを想像させてくれる場面も、しっかりと描かれています。
そこでのばんばは温かく、優しいおばあさんそのもの。
子どもを壺に吸い込む理由も、少しわかってしまいます。
また、その結末や、ばんばのその後も、とても哀愁漂うもの。
「あーよかった!」
と思いつつも、チクリと少しだけ心にトゲが刺さります。
普通の昔話だと、完全悪として描かれがちなやまんばが、とても人間味豊かに描かれているのが、この絵本ならではで、とても素敵なところです。
二言まとめ
女の子の姿だけでなく、ばんばの姿も丁寧に描かれる。
両方の気持ちがわかることで、心にチクリとした何かが残る昔話絵本です。
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