保育士の目線・保護者の目線

雑記

お元気様です!

登る保育士ホイクライマーです。

運動会が迫ってきて、微妙なソワソワ感が止まりません。

これは何年たっても変わりませんね。

このソワソワ感が、非日常の楽しさでもあるのですが。

さて、今回はあるところで目にした、

独身保育士に対しての、「子どもがいないくせに」

それに対しての、「こっちは何十人も色々な子どもを見てきている」

という、意見について、思う所があったので、それについて語っていきたいと思います。

結論から言うと、

子どもに必要なのは多角的な意見と見方

だと思っています。

さらに言うと、

保護者や子どもが必要としているのは、寄り添ってくれる気持ち

だとも思っています。

なので、この話題になっている両意見ともにずれを感じているのです。

このやり取りを見ていて、なんだかモヤっとしたり、「ちょっとずれている気がするんだけど」など、何とも言えない複雑な気持ちになっている方もいるのではないでしょうか?

その思いを、言語化するきっかけになれば嬉しいです。

それでは、詳しく見ていきましょう!

保護者の悩みは多種多様

まず、大前提として、保護者の抱えている悩みは本当に幅広いです。

子育ての悩みはもちろん、夫婦関係、離婚、祖父母との関係、仕事の悩み、進学、自己肯定感・・・。

子育ての中にも、障害があったり、発達の遅さなどが入ってくると、また悩みの方向性が変わります。

子育ては人生の一部です。

ゆえに、保護者や家庭の人生の悩みは、全て子育てと関係してきます

保育士は、「それは保育士の仕事ではないので」と、断ることは出来ませんし、してもいけないのです。

あ、もちろん、悩みが元になっていても、保育士の人格を攻撃するようなものには対処しなくてはいけないですよ。

話を戻し、それだけの幅広い悩みに対応しなければいけないのに、「子の有無」「子どもを見てきた量」で、その人が発する意見の価値を計ることなど無意味なのです。

では、その大前提を元に、保護者が必要としているものはなんなのでしょうか?

それは情報と感情の、二つの側面から考える必要があります。

保護者が必要としているもの1~情報~

一つ目は情報です。

子どもが言うことを聞いてくれない、寝かしつけのコツといった子育ての情報。

金銭面での困窮、家庭内暴力、ネグレクト傾向などには、専門機関や行政機関の情報・連携。

障害があったり、それが疑われる時には、その子に合った子育て情報とともに、専門機関の情報も必要になります。

これらはその子や家庭をじっくり見ているからこそ、その一人ひとりに合わせた提案をしていくことが出来ます

その提案の結果を保護者と見て、次の行動を考えるというループに繋げることもでき、保育士の強みだと思います。

ここは「たくさんの色々な子を見てきた」ことが、自分の引き出しを増やし、子どもを客観的に見る目線へと繋がる部分でしょう。

保護者が必要としているもの2~感情~

しかし、保護者は情報だけを必要としているわけではありません。

保護者は日々、子育てと人生に、不安、喜び、疲れ、充実感といった、正負入り混じった感情を抱いています。

それは人間だから当たり前。

保育士だって持っています。

その感情に共感し、ともに喜び、悩みを聞いて相談に乗ってくれることも、必要としているのです。

ここで大切なのは、感情であって理屈ではないということ。

もし、悩みを相談したい保護者が「子育てをしたことがある人に意見を聞きたい」と思っていたら、どんなにスキルがあったり、著名な保育士でも、あまり意味がないということです。

何百人子どもや保護者を見ていたところで、そこでは一人の子どもを育てた経験談と共感には遠く及ばないでしょう。

ただ、これは「子育ての有無」だけではありません。

ぼくは保育士を始めたての頃に、2歳児クラスで、シングルマザーの保護者の担任になりました。

離婚したばかりなのと、落ち着きがないタイプの子だったこともあり、とても不安が強いようでした。

そんな中、保護者との個人面談があり、落ち着きがないことを心配していると告げられました。

実はぼくも小さい頃かなり落ち着きがなく、その子と行動が重なる部分があり、個人面談の時にその話をしたのです。

ずっと走り回っていたこと、毎日のように怒られていたこと、昼寝で寝なさ過ぎて園庭で遊ばせてもらっていたこと・・・。

それから、3年ほど経ち、ぼくが他の保育園に異動になった時、その保護者が挨拶をしに来てくれました。

その時に、あの面談の時にした話でとても安心したと、涙を流してお礼を言われたんです。

この例では、「どれだけ子どもを見たか」ではなく、「自分の過去の経験」が保護者の感情に寄り添うきっかけとなりました。

もし、障害を持っている子の保護者だったら「たくさんの子を見た」「子の有無」よりも、「一人だけど近い特性の子を見た」経験の方が、きっと必要としているでしょう。

感情は理屈ではないので、一般的な価値基準では計れないことがたくさんあるのです。

だからこそ、自分のステータスは横に置いて、保護者がなにを求めているのかに耳を傾けることが大切なのです。

色々な人からの多角的な視点が大切

もちろん、これだけ多種多様なニーズを、一人で満たせるわけがありません

だからこそ、保育園には様々な年齢、境遇、考え方の人がいるのです。

料理のことを調理さんに聞きたい。

離婚経験がある人がいれば、その人にアドバイスをもらいたいと思うこともあるでしょう。

自分とは違う考え方の人から意見を聞きたい人もいれば、自分とは違う考え方を聞いてみたい人もいます。

また、同じ保護者でも心の余裕などによって、必要な対応が違う時だってあります。

デリケートな問題であればあるほど、そういう面は大きくなるでしょう。

なので、みんなで協力して、保護者とともに子どもを育てていくのです。

子どもがいる親としての視点。

保育士としてのプロの視点。

調理員としてのプロの視点。

年長者の視点。

若者としての視点。

多角的な視点があることで、子どもや保護者へ、その瞬間に必要な寄り添い方が出来るのだと思います。

「子がいないくせに」を言われる可能性は十分ある

さて、今回はSNSを巡っての「子がいないくせに」という議論を発端としてお話してきました。

これについては、「どこの誰かもわからないSNSでの発言はほっとけばいい」という意見も多く見られます。

しかし、これは保育現場で、いつ言われてもおかしくないものでもあるのです。

もちろん、保育現場で言われた時に、無視したり、放っておくわけにはいきません

それをすることは、保護者との関係を切ることになります。

保護者との関係の悪化は、子どもにも影響を及ぼします。

今回の件は、そうなった時に、自分はどうするかを考えるいいきっかけになると思います。

おそらく、保育士の中にも「自分は子育てしたことがないのに、偉そうなこと言えない」と、引け目を感じている人は一定数いるでしょう。

いつもは温厚な保護者でも、イヤイヤ期などで余裕がなくなり、「子どもがいないのに、この苦労はわからない」と感情的になることもあります。

「○○したこともないのに」というのは、頻度は少なくても、かなり現実的な問題なのです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

ある意味では子育てVS保育のような今回の議論。

違う所もたくさんあるこの二つ。

だけど、突き詰めれば、

子どもが幸せに楽しく育っていくこと

が、根底にあるとういう意味では、目指すところは同じです。

それぞれのいいところをすり合わせて、力を合わせていく視点がお互いにあることが、子どもにとっても、保護者にとっても、保育士にとっても一番楽しく、楽で、幸せなのではないでしょうか。

この記事が、今回の件をより深く考え、言語化する役に立てば幸いです。

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