文:ジェイン・ヨーレンとハイジE.Y.ステンプル
絵:クリスチャン・ハウデッシェルとケビン・ハウデッシェル 訳:まつかわまゆみ 出版:評論社
住んでいる場所によって、色々な嵐がある。
竜巻、吹雪、山火事、台風。
そんな嵐の中で生きる人々の姿が描き出されます。
自然の力との共存を、力強く肯定的に描いた絵本です。
あらすじ
風が吠え猛り、吹きすさぶ竜巻。
そんな時、家族みんなで地下へ集まり、懐中電灯で本を読んだりゲームをしたりして過ごす。
風が回るのを止めたら、みんなで枝を拾い、塀を直す。
女の子は庭でくるくるとダンスを踊る。
吠え猛り、吹きすさぶ風のように。
雪や氷が吹き荒れる吹雪。
そんな時は、全部の灯りが消えるので、暖炉に火を燃やし、ホットドックを焼いたり、焼きマシュマロを食べる。
雪や氷が降りやんだら、家の前の雪かきだ。
雪だるまも作る。
近く森が燃える山火事。
そんな時は、パパの運転で湖へ行く。
キャンプをしていたら友だちも出来た。
花を摘んで花束を作る。
森の火が消えたら、大人はすすを掃いたり、窓を洗ったりする。
子どもの私はご近所に花束を配る。
腕を上げて炎のようにゆらゆらさせると、辺りの空気はまだ熱い。
海が逆巻き、かきみだれ、天まで山のように盛り上がる台風。
そんな時は、海から離れ、従弟の家へ行く。
二段ベッドをボートにして荒海ごっこ。
台風は猛烈で、ぼくは怖くなる。
風が収まり海が凪いだら、ぼくたちは家に帰る。
怖くたって構わない。
だって・・・。
『あらしとわたし』の素敵なところ
- 迫力満点に強く、怖く、美しく描き出される嵐
- 嵐は当たり前にに側にあるものという感覚
- 自分の中にある嵐のような力強さ
迫力満点に強く、怖く、美しく描き出される嵐
この絵本の素敵なところは、怖いものという先入観を抜きに描きだされる嵐にあります。
嵐には恐ろしい面がたくさんありますが、それだけではありません。
自分がちっぽけに見えるほどの力強さ。
息を呑むような美しさ。
もちろん、抵抗できない怖さも。
きっと色々な感情が揺り動かされるでしょう。
台風を見てただただ「すごい・・・」と思うこと。
燃える山を見て「きれい・・・」と感じたこと。
そんな自然の壮大さにただ圧倒されたことが、誰しもあるのではないでしょうか。
この自然の嵐を先入観なしに、ありのまま描かれているのがとても素敵なところです。
暗い空、輝く雪、逆巻く風や雲、立ち昇る黒煙といった、絵での視覚的表現。
「風が吠え猛り吹きすさぶ」「窓はキラキラ、妖精が粉をまいたみたいに光る」というような、文章でのイメージを膨らませる表現。
様々な表現で、嵐を描き出しています。
まるで、まさに目の前で嵐が起こっていて、自分たちがいる場所は避難場所のように思えてる臨場感も、この絵本のすごいところです。
嵐は当たり前にに側にあるものという感覚
さて、そんな嵐ですが、この絵本の登場人物たちには当たり前のもののよう。
よく嵐が起こる場所に住んでいるからでしょう。
生活の一部になってるみたいです。
嵐と暮らす子どもたちは言います。
「竜巻がやむのはいつものこと」「火事がやむのはいつものこと」と。
物凄い力を持った嵐ですが、いつまでも続くわけではなく、いつかやむことを当たり前に知っているのです。
怖がるだけなく、終わりも知っているからこそ、共存していけるのでしょう。
当たり前に側にあり、嵐が起こった時の楽しみ方や、嵐がやんだ後の楽しみ方も知っている子どもたち。
その姿を見ていると、人間も自然の一部だということに気付かせてくれます。
怖がるだけでなく、嵐とどう付き合っていくかが大切だというを考えさせられるのです。
この、嵐を特別なものとせず、常にともにあるものだという考え方と、それを体現する子どもたちの力強い姿も、この絵本のとても素敵なところです。
自分の中にある嵐のような力強さ
そして、子どもたちは嵐の力強さを、自分の内にも見つけ、取り込んでいきます。
嵐のような大きな声。
吹雪のような大胆さ。
など、自分の中にある嵐のような力と、身近な自然の力を結び付けるのです。
すると、不思議なことに、嵐が自分の一部のように見えてきます。
きっと、この感覚が本当の意味での自然との共存なのでしょう。
子どもの純粋な目で見つけた、自然の嵐と自分の共通点。
この自然への、畏敬のような、仲間のような、ライバルのような、当たり前にそこにいる感覚も、この絵本のとても魅力的で素敵なところの一つです。
二言まとめ
自然の中で生きる子どもたちの、嵐への親近感を通して、自然との共存とはなにかを考えさせられる。
嵐への恐怖だけでなく、憧れや美しさまで描き出した、とても力強い絵本です。
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