文:ジャッキー・アズーア・クレイマー 絵:シンディ・ダービー 訳:落合恵子
出版:クレヨンハウス
お母さんが死んだ日。
悲しみに暮れていると、一匹のゴリラが現れた。
ゴリラは死への疑問に一つずつ答えてくれる。
これは小さな男の子が、お母さんの死と向き合う物語。
あらすじ
家に悲しそうな顔をした人たちがやってきた。
その中で、パパも悲しそうな顔をしている。
男の子は外に出て、庭の手入れを始めた。
そこへ一匹の大きなゴリラが現れ、男の子に声をかけた。
「ママの庭きれいだね。なにか手伝おうか?」
男の子は「うん」と答えた。
男の子は、ママが死んだことを伝えた。
ゴリラは知っていた。
それからは何をする時もゴリラと一緒だった。
男の子は遊びながら、ゴリラに聞いた。
「死んだってどうやってわかるの?」
「みんな死ぬの?」
「ママはどこに行ったの?」
「ママはもう帰ってこないんだよね?」
「ママがいて本を読んでくれたらなあ。」
「どうしてママは死んだの?」
「いつになったら悲しくなくなるの?」
他にも色々なことを・・・。
ゴリラは一つ一つ男の子問いに答えてくれる。
優しくゆっくりと。
そうして日が経っていったある日。
男の子はパパが一人泣いているのを見つけた。
男の子はパパに声をかけた。
「ママに会いたい」と。
するとパパは・・・。
『悲しみのゴリラ』の素敵なところ
- 答えの出ない答えに、丁寧に答えてくれる
- 悲しみに暮れるお父さんの変化
- 絵本全体に漂う喪失感
答えの出ない答えに、丁寧に答えてくれる
この絵本は、とても悲しく残酷な絵本です。
同時に、とても優しく温かい絵本でもあります。
小さな子にとっての、お母さんの死。
これはとてもじゃないけれど、受け止められるものではありません。
けれど、奇跡も魔法も起こりません。
受け止めていくしかないのです。
その中で出てくる、たくさんの疑問。
「死んだってどうやってわかるの?」
「みんな死ぬの?」
「ママはどこに行ったの?」
「どうしてママは死んだの?」
そして、ママがいない寂しさ。
そんな答えの出ない質問。
きっと同じ立場だったら、ぐるぐると考え続けてしまうでしょう。
でも、それでは前に進めません。
その手助けをしてくれるのが大きなゴリラ。
一つ一つの疑問に、優しく丁寧に答えてくれます。
「体が動かなくなるんだよ」
「そう、だれだっていつかは死ぬんだ。でも君は凧あげだってもっとできるよ」
「確かなことは誰にもわからない」
「命あるものは必ず死ぬんだ。愛するものを置いていくのは悲しいけれど」
質問に答えつつ、男の子悲しみに共感してくれるのです。
そのなんと心強いことでしょう。
男の子はゴリラとの対話で、自分の気持ちを整理しているのだと思います。
悲しみに暮れるお父さんの変化
こうしてゴリラと過ごす日々。
その中にはもちろんお父さんの存在もあります。
家でお絵描きしている時も、凧あげしている時も、公園にいる時も。
ですが、その姿はどれも悲しみに暮れていて、男の子のほうはみていません。
一緒に遊ぶこともありません。
それだけ悲しみが大きいのでしょう。
けれど、一つの転機が訪れます。
それが男の子からの一言。
「ママに会いたい」
この素直な一言に、お父さんは大きく変わります。
胸の内に押しとどめていた気持ちを言葉にされたからなのか。
男の子が大きな悲しみを抱いていることに、気付かされたからなのか。
2人の時間が動き出したのが感じられるのです。
悲しみが解決するわけではなく、悲しいままでも前を向き進み始める姿は、この絵本の本当に素敵なところだと思います。
絵本全体に漂う喪失感
さて、そんな死を描いたこの絵本には、特筆すべきところがあります。
それが絵本全体に流れる喪失感です。
当たり前にいた人が、突然日常から消える非現実感。
泣き続ける訳でもなく、当たり前のようにやってくる日常。
普通にご飯を食べて、遊んで、寝る。
でも、なんだか空虚で、時間が止まっているような、自分たちだけ違う空間にいるような感覚。
その喪失感が、この絵本には最初から最後まで色濃く感じられるのです。
だからこそ、死をすごく近くに感じられるのでしょう。
とても現実感のある死の悲しみを感じさせてくれるのが、この絵本の本当にすごいところだと思います。
二言まとめ
身近な人の死で、頭に渦巻く答えのでない疑問に、丁寧に寄り添い答えてくれる。
少しずつ頭と心を整理する手伝いをしてくれる、残酷で、温かく、優しい絵本です。
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