お元気様です!
登る保育士ホイクライマーです。
ぼくはクライマーという職業柄、手足を中心に生傷が絶えないのですが、絆創膏やかさぶたをつけて保育園に行こうものなら、
「ここどうしたの?」
「ここ痛い?」
と、速攻で子どもに見つかります。
しかも、ちゃんと新しく増えたところだけ。
子どもの観察力や記憶力って本当にすごい!
そして、傷は癒えませんが、心はとっても癒されます♪
いつも心配してくれてありがとう・・・。
みなさんは、普通の生活をしていると、大人になって転ぶことはあまりないかもしれません。
でも、子どもはびっくりするくらいよく転びますよね。
クライマー同様、1年間で傷がない状態の方が珍しいくらいだと思います。
では、子どもが転んだ時、みなさんはどう対応しているでしょうか?
慰める、励ます、あえて声をかけない・・・。
色々な対応の仕方があるでしょう。
ただ、普段何気なくしているこの対応ですが、深掘りしてみると、ものすごい奥が深い理論が関わっているのをご存じでしょうか?
それが、「ここ」と「あそこ」の理論です。
この理論を知っていると、転んだ時以外の子どもへの対応にも応用できる、とてもおもしろい理論です。
さらには、大人同士の関係にも・・・。
今回の記事では、この理論について『ナラティヴとしての保育学』(著:磯部裕子・山内紀幸)を参考に考えていきます。
- 転んだ時、どう対応するのがいいんだろう?
- 子どもの心の働きに興味がある。
- 心の距離感ってなんだろう?
そんなことに興味がある方には、とてもおもしろい内容になっていると思いますので、ぜひ見ていってください。
では、いってみましょう!
「ここ」と「あそこ」
まずは、「ここ」と「あそこ」の理論について見ていきましょう。
これは簡単に言うと、自分の世界の内側と外側のことです。
「ここ」は自分の意識の内側の世界。
「あそこ」は自分の意識の外側の世界です。
例えば、電車に乗った時のことを想像してみてください。
自分以外、誰も知っている人がいない状況です。
この状況では、自分は「ここ」、それ以外の乗客や窓からの景色、イスやつり革などのすべては「あそこ」となります。
ここで、遠くのドアから知り合いが乗ってきたとしましょう。
その知り合いに気付いた瞬間、自分とその知り合いのいる場所は「ここ」になります。
これは人だけでなく、車内テレビなどで、自分に興味のある内容がやっていたら、そこに意識が向き自分と関係ある「ここ」へと変わります。
けれど、知り合いが乗ってきたとしても、こちらが気付かなければ、知り合いがいる場所は「あそこ」のままです。
このように、「ここ」と「あそこ」に物理的距離は関係なく、心の距離と言うことができるでしょう。
では、この理論がどのように転んだ時の対応に関わってくるのでしょう?
次の項で、転んだ時の具体的な対応と、その対応をした時の「ここ」と「あそこ」がどうなっているかについて、見ていきたいと思います。
転んだ時の対応による「ここ」と「あそこ」
みなさんは転んだ時にどんな対応をするでしょうか?
ここでは一般的だと思われる対応をいくつか見てみたいと思います。
転んだ時の対応としては、
- 放っておく
- 「走るからだよ」と原因を伝える
- 「痛かったね」「大丈夫?」と共感を伝える
- 「転んでも強いから泣かないよ。みんな応援してあげて」と、他の子たちに呼びかける
- 他の子に転んだ子の様子を見てきてもらう
- 転んだ段差などに注意を向ける
他にも多くのパターンがあると思いますが、おおまかにはこのような対応をすると思います。
では、それぞれの「ここ」と「あそこ」を見てみましょう。
どれも、転んだ子が「ここ」として考えていきます。
1,放っておく
保育者が「あそこ」という構図。
転んだ子の世界に、他者は現れません。
2,「走るからだよ」と原因を伝える
保育者が「ここ」という構図。
転んだ子の「ここ」に保育者が入り、なぜ転んだのかを伝えます。
ただ、転んだ子が保育者を信頼していないなど、「あそこ」だと見ている場合には、メッセージが届かない「ここ」と「あそこ」の関係性になることもあります。
3,「痛かったね」「大丈夫?」と共感を伝える
保育者が「ここ」という構図。
この対応が一番多いかもしれません。
保育者が「ここ」になり、共感的に関わります。
ただ、必要以上に心配したりすると、転んだ子が共感を感じず、保育者が「あそこ」になることもあります。
4,「転んでも泣かないよ。みんな応援してあげて」と他の子たちに呼びかける
保育者を含め、その場にいる全員が「ここ」になる構図。
保育者の呼びかけで、全体が転んだ子の意識に入り「ここ」になります。
5,他の子に転んだ子の様子を見てきてもらう
4と異なり、保育者は「あそこ」にいる状態で、他の子を「ここ」に入れる構図。
転んだ子にとっては、大人の介入がない関わりとなる。
6,転んだ段差などに注意を向ける
保育者が「ここ」、対象物が「あそこ」という構図。
「○○くんを、転ばせたらダメでしょ!」と段差に言うなど、転んだ子と一緒に対処物を見る関わりです。
この時、「○○くんも痛かったけど、段差も足がぶつかって痛かったよね」など、転んだ子と同じ境遇として扱うと、対象物も「ここ」に入れた関わりに変化します。
以上、6つの対応について見てきましたが、「ここ」と「あそこ」の感覚がわかっていただけたでしょうか?
この中で誤解をしないで欲しいのは、これらの対応に正解や間違いはないということです。
一見、保育者が「ここ」に入る対応が受容的でよいと思われやすいのですが、そんなことはありません。
保育者が「あそこ」にいるということは、転んだ子が自分で「ここ」を何とかしないといけないことでもあります。
それは、子どもの自立する力を育てます。
重要なことは、今のその子に、どんな関わりが必要なのかを考えて対応することです。
- 保育者が「ここ」に入り、信頼関係や受け止めてもらう安心感を形成していくタイミングなのか?
- 子ども同士で乗り越える経験が必要な時期なのか?
- 自分自身で乗り越えていってほしいのか?
子どもの見方によって、対応が変わるでしょう。
その際に、「ここ」と「あそこ」の理論は大きな力となってくれることでしょう。
ほとんどのことに応用できる「ここ」と「あそこ」
さて、この「ここ」と「あそこ」の理論が使えるのは、転んだ時の対応だけではありません。
多くの場面で力を発揮してくれる、非常に応用力の高い理論です。
その中でも、特に使いやすい場面について、最後に紹介していきたいと思います。
それは、
- 子ども同士のケンカ
- 子どもがなにかを一生懸命やっている時
- なにかを伝えたい時
の3つの場面です。
それぞれ詳しく見ていきましょう。
1,子ども同士のケンカ
子どもがケンカを始めると、大人はケンカを止めがちです。
これは、年齢関係なく、中・高生になっても、この傾向は強いように思われます。
ただ、ケンカは非常に多くの学びを得る機会です。
自分と相手の気持ちのすり合わせ方。
妥協点の探り方。
喧嘩別れした時のもやもやとした気持ち。
ケンカは基本的に、その場で解決しなくてはいけないものではありません。
一方的になったり、ケガに繋がらない限りは、当人の間で納得していれば、どんな決着でもいいのです。
けれど、大人は綺麗な決着を求めがちです。
そして、そのためにすぐに介入してしまうのです。
では、どうすればいいのか?
それには、「ここ」と「あそこ」の理論が役に立ちます。
まず、ケンカをしている当人同士は「ここ」です。
大人が介入するというのは「ここ」に踏み入っていくことになります。
そこで重要なのは、どこまで「ここ」に入る必要があるかを見極めること。
これは年齢によっても大きく変わります。
乳児クラスのケンカなどでは、手が出り、噛みつきが起こりやすいので、すぐにそばに行く必要があります。
その上で、まだやり取りのための言葉なども未熟なので、気持ちに沿った言葉の使い方を介入していく必要が高いでしょう。
「ここ」に保育者がいるだけで、安心してやり取りできる場合も多いです。
反対に、ある程度自立している年齢になれば、「あそこ」から子どもに気付かれず見守る必要が多くなります。
ただ、
- 恫喝のような形で言うことを聞かされている
- 言葉がうまく出てこずに困っている
- 完全に話し合いが膠着してしまっている
などの場合には、「ここ」に行き手助けする必要があるでしょう。
その中で、一言伝え「あそこ」へ戻るのか?ずっと「ここ」でい続けるのか?によってその後の流れも変わってくるでしょう。
対応する際、「最終的には子ども同士で解決する力を身につける」という目的は同じだと思うので、「ここ」と「あそこ」をうまく使い分け、子どもの問題解決能力を育てていきたいものです。
2,子どもがなにかを一生懸命にやっている時
子どもがなにかを一生懸命やっている時、大人は「すごいの出来たね」「なにやってるの?」など、声を駆けがちです。
ですが、それは「ここ」に介入することだと自覚しなくてはなりません。
子どもが一生懸命なにかをやっている時、それは子どもと対象物だけで出来た「ここ」の世界です。
子どもと対象物の対話の世界と言ってもよいでしょう。
そこに無自覚に入るのは無粋というもの。
仲の良い友だちと楽しく話している時に、第三者に割って入ってこられるようなものなのです。
すぐに「ここ」に入る必要があるのか?
一段落し、「ここ」から出てきた時に話しかけるのではダメなのか?
きっと大人に対しては「集中しているからそっとしておこう」と、配慮が生まれるところでも、子どもに対しては無遠慮に入ってしまいがちです。
ぜひ、子どもにも大人と同じような配慮をしてあげて欲しいところです。
3,なにかを伝えたい時
なにかを相手に伝える時、相手の「ここ」から伝えた方が伝わりやすいというものです。
これは、子ども相手にも、大人相手にも言えることです。
一見、当たり前のように思われますが、意外と意識せず「あそこ」から言ってしまいがち。
ぼく自身も、よくやってしまいます。
子ども相手で言うと、
「今日は秘密基地を作ります。材料は段ボールを使って・・・」と「あそこ」から教える立場で伝えると子どもは言われた通りにやります。
ですが「秘密基地作ったらおもしろそうじゃない?今日作ってみる?」と子どもと一緒に遊ぶ「ここ」から伝えると、子どもが意欲的に動き始めます。
「ここ」から伝えることで、「楽しそう」というメッセージが伝わったのでしょう。
叱る時なども同じです。
一般論を話す先生という立場で叱ると「あそこ」からのメッセージに、一緒に生活する者としてやめて欲しいことを伝えると「ここ」からのメッセージとなります。
どちらが心に伝わるかはきっと実感でわかるとおもいます?
大人の場合も同じです。
「こういう問題点があるので、こういう風に直してください」と、上司として「あそこ」から伝えられると、やりはしますが意欲は働きにくいです。
反対に「ここってどう思ってる?そう考えてるなら、この方法でやるとうまくいくかもしれないよ」と、相談者として「ここ」から伝えられると、意欲が湧いてきそうです。
このように、大人なので言われたことはやりますが、メッセージとして心に届くかは別の問題と言えます。
別の例として、届かなかったメッセージが届くようになった場面も見ておきましょう。
自分とは考え方の違う人の意見や、本を読んだ時、そのメッセージが「なに言ってるんだ?」と届かないことはよくあるでしょう。
それが、時間が経ち、自分の変化や成長に伴って「あの時のことって、こういうことだったのか!」と届くことはありませんか?
これは「ここ」と「あそこ」の理論で考えた時、「あそこ」の視点へ自分が到達し「ここ」となった瞬間と言えるでしょう。
人になにかを伝える時、「ここ」から伝えるのか?「あそこ」から伝えるのか?は非常に重要です。
ぜひ、自分はどこから伝えているのか?その結果、相手に届いたのか?を、相手が子どもでも大人でも考え続けていきたいところです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、「ここ」と「あそこ」の理論について、考えていきました。
色々な例をあげましたが、どれもこの理論を知らないと、なんとなくやっている場面なのではないでしょうか?
ですが、ここで心の中に働いている「ここ」と「あそこ」の理論を知ることで、「なんとなく」を説明できるようになり、きっとぼやけていた輪郭がくっきりと形を持つようになると思います。
そして、形がわかるようになれば、それをコントロールし、意図的な行動に変えることができるはずです。
この理論は、乳幼児だけでなく、思春期の子どもや、大人まで幅広く使えます。
むしろ、人間が生きていくうえで、常に付き合い続けていく理論と言えるでしょう。
ぜひ、日常の生活に「ここ」と「あそこ」を当てはめてみてください。
きっとこれまでとはまた違う、とてもおもしろい関係性が見えてくると思います。
本書の中では、「ここ」と「あそこ」の理論に「共感」と「共鳴」といった要素を組み合わせた具体例が出てきたり、それを保育を見る上での語りの言葉として使う方法が紹介されています。
保育を生きた物語として見ることで、保育の本質が見えやすくなるという切り口の、とてもおもしろい1冊なので、今回の記事で興味を持たれた方は、ぜひ手に取ってみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
コメント