【絵本】ひよこのコンコンがとまらない(4歳~)

絵本

作:ポール・ガルドン 訳:福本友美子 出版:ほるぷ出版

コンコンと咳が止まらなくなったヒヨコのために、

お母さんが水を汲みに行きました。

でも、水を汲むためにはあれも、これも、それも、あんなものまで必要で・・・。

あらすじ

昔々、めんどりのコッコさんと、ヒヨコのタッペンが森に出かけました。

美味しい種を探しに来たのです。

コッコさんは、タッペンに大きい種は喉に詰まってコンコンが出るから食べないように言いました。

ところがしばらくして、タッペンは大きい種を飲み込もうし、咳が止まらなくなってしまったではありませんか。

コッコさんは慌てて水を探しにとんでいきました。

すると、泉があったので、コッコさんは水を分けてくれるよう頼みました。

泉はコップを持ってくれば分けてくれると言いました。

そこでコッコさんは、かしの木まで出かけ、コップをくれるよう頼みました。

かしの木は、枝を揺すってくれたらコップをくれると言いました。

コッコさんは、木こりの息子のところへ行き、枝を揺すってくれるよう頼みました。

木こりの息子は、靴を持ってきてくれれば、枝を揺すると言いました。

コッコさんは、靴屋へ駆けていき、靴を作ってくれるよう頼みました。

靴屋は、皮を持ってきたら、靴を作ると言いました。

コッコさんは、牝牛のところへ行き、皮を分けてくれるよう頼みました。

牝牛はトウモロコシを持ってきたら、皮をわけてあげると言いました。

コッコさんは、お百姓さんのところへ行き、トウモロコシをわけてくれるよう頼みました。

お百姓さんは、スキを持ってくればトウモロコシを分けてくれると言いました。

コッコさんは、鍛冶屋に行き、スキを作ってくれるよう頼みました。

鍛冶屋は、鉄を持ってくればスキを作ってくれると言いました。

コッコさんは、鉱山へ行き、小人に鉄を分けてくれるよう頼みました。

すると、事情を聞いた小人たちは、大急ぎで鉄をどっさり運んできてくれました。

やっと必要なものが手に入ったコッコさん。

無事タッペンに水を飲ませることができるのでしょうか?

タッペンのコンコンは止まるのでしょうか・・・?

『ひよこのコンコンがとまらない』の素敵なところ

  • どんどん必要なものが増えていく楽しくも困った繰り返し
  • 1つ手に入ったところからの怒涛の巻き返し
  • コッコさんと一緒にホッとする物語の結末

どんどん必要なものが増えていく楽しくも困った繰り返し

この絵本のなにより楽しいところは、必要なものがどんどん増えていく繰り返しでしょう。

コッコさんは水を飲ませようとしただけなのに、一つお願いするごとに、一つ必要なものが増えていきます。

気付けば、ものすごい量の必要なものが・・・。

さらにコッコさんの、必要なものが増えるたびに増えていくセリフが、必要なものの多さを実感させてくれ、よりおもしろい。

最初は、

「かしの木さん、かしの木さん、コップを一つちょうだい。

コップがなければ、泉の水が汲めない。

水がなければ、タッペンのコンコンがとまらないの」

という簡潔なお願いだったのが、最後には、

「鍛冶屋さん、鍛冶屋さん、スキを作ってちょうだい。

スキがなければ、お百姓さんがトウモロコシをわけてくれない。

トウモロコシがなければ、牝牛が皮をくれない。

皮がなければ、靴屋さんが靴を作れない。

靴がなければ、坊やはかしの木を揺すれない。

揺すらなければ、かしの木がコップをくれない。

コップがなければ、泉の水が汲めない。

水がなければ、タッペンのコンコンがとまらないの」

と、とんでもなく長い説明になっているのです。

子どもたちも、

「すごい長くなってる!」

「説明するのも大変だね~」

と、もう笑ってしまうほど。

でも、どこか言葉遊びのようで、読んでいる方も、聞いている方も楽しく心地がいい。

文章が長くなるにつれ、どんどん早口で読んでいくとテンポ感もよく、大変さも伝わる、ぼくのおススメな読み方です。

また、コッコさんが色々なところに行くけれど、必要なものが中々手に入らないヤキモキ感も、とてもおもしろいところ。

その塩梅が絶妙で、他の絵本なら「そろそろ手に入りそう」と予想するところから、まだしばらく手に入らないのです。

徐々に子どもたちも、

「えー!?まだもらえないの!?」

「タッペンが死んじゃうよ!」

と、焦り始めます。

さらにそれを越えるとおもしろくなってくるようで、

「まだもらえない!」

「いつもらえるの~」

と、どこまでもらえないのかと、笑いが出てきてしまうからおもしろい。

手に入らなさ過ぎる長い旅路が、飽きるどころかおもしろくなってしまうという、この絵本ならではの魔力があるのです。

この、予想の1.5倍くらい必要なものが多い繰り返しと、そのたびに増えていくコッコさんのセリフの変化が、この絵本の子どもをひきつけてやまない大きな魅力の一つです。

1つ手に入ったところからの怒涛の巻き返し

こうして長い時間かけて、必要なものをやっと手に入れることができたコッコさん。

ですが、一つ手に入ったら、そこからの解決は驚くほどにスピーディーなものでした。

この、一つ手に入れるまでの長い工程と、手に入れた後のスピード感のギャップも、この絵本のとてもおもしろく爽快なところです。

それはまるでジェットコースター。

これまで見開き1ページを使い、文章量もたっぷり使い、じっくりと各所を回っていたのとは正反対に、

1ページに1つずつ、

「その鉄で、鍛冶屋さんはスキを作りました。」

「そのスキで、お百姓さんはトウモロコシを取ってきてくれました。」

といった、簡潔な文章で必要なものがどんどん手に入っていくのです。

そして、あっという間に泉の水へ。

このスピード感に、子ども達も口を挟む隙すらありません。

タッペンに水を飲ませる段階になってようやく。

「早かったね~」

と感嘆の声。

その表情には、どこかやりきった達成感が感じられました。

このゆっくりじっくり必要なものを追っていく流れからの、鉄が手に入った瞬間から一気に加速して解決するスピード感への変化が、この絵本のものすごく爽快で気持ちのいいところです。

コッコさんと一緒にホッとする物語の結末

さて、こうして無事に目標を達成したコッコさん。

その道のりはとても大変なものでした。

対して、ヒヨコのタッペンはそんなこと露知らず。

のんきで無邪気な姿を、最後まで見せ続けます。

この最後の場面で、子どもたちの目線がコッコさんになっているのも、この絵本のおもしろいところなのです。

最初の場面では、子どもの目線は中立から、どちらかというとタッペンに近いものでした。

「かわいい~」と言いながら、みんな視線がタッペンに向かっています。

けれど、最後の場面では、

「も~大変だったんだから!」

「もう、大きい実食べないんだよ!」

「虫とかをお食べ!」

と、そこに変化が生まれています。

きっと、長い時間をかけて、コッコさんと水を汲みに行った苦労があるからなのでしょう。

すっかり、お母さんの目線になっている子どもたちの姿に笑ってしまいました。

この、エピソードを通して、最初と最後で目線が変わるというおもしろさも、この絵本のとてもおもしろい魅力の1つです。

二言まとめ

水を汲もうとしただけなに、どんどん必要なものが増えていく繰り返しがおもしろい。

言葉選び、テンポ感、スピード感、その全てが、読み手にも聞き手にもとても心地よい、何度も読みたくなる絵本です。

コメント

  1. 絵本「数字はわたしのことば」 より:

     ≪…必要なものが中々手に入らないヤキモキ感…≫を、「偶然とは何か : 北欧神話で読む現代数学理論全6章」 イーヴァル・エクランド 著,南條郁子 訳 にあるように、≪…北欧…≫の風土で、茶道の【 稽古とは一より習い十を知り十より戻るその一 】の情景に重ねる。 

     泉(水)                     1  
      ↓      水を運ぶモノ
     コップ                      2
      ↓             揺する動作      
     かしの木                     3
      ↓              靴   
     木こりの息子                   4
      ↓              皮
     靴屋                       5
      ↓             トウモロコシ 
     牝牛                       6
      ↓              スキ
     お百姓                      7
      ↓              鉄
     鍛冶屋                      8
      ↓              掘る作業
     小人                       9
      ↓     水を運ぶモノ 
      水                       10

     この一連の過程を経て、1~10への十進法の基における桁表示の数が、[合掌]の動作の流れに関連付けタイ・・・

     水(数)が手に入る手順の順序構造が、[ヒト]の
        [手] (2)
        [指] (10)
        [合掌](1)    から、
    数の言葉ヒフミヨ(1234)が、平面(2次元)からの送りモノとして眺めると、十の物指に生る。

    刀模様の物指(手のひらを開いた姿)
    1 左向き模様(赤)  左手親指
    2 右向き模様(黄)  左手人差指
    3 左向き模様(青)  左手中指
    4 右向き模様(白)  左手薬指
    5 左向き模様(黒)  左手小指
    6 右向き模様(黒)  右手小指
    7 左向き模様(白)  右手薬指
    8 右向き模様(青)  右手中指
    9 左向き模様(黄)  右手人差指
    10 右向き模様(赤)  右手親指

    合掌の姿は、
     左手親指と右手親指   で  1+10=11
     左手人差指と右手人差指 で  2+9=11
     左手中指と右手中指   で  3+8=11
     左手薬指と右手薬指   で  4+7=11
     左手小指と右手小指   で  5+6=11

    合掌の姿 では、        11×5=55
    このセマンティックス(言葉の量化)とシンタックス(数の言葉の量化)に想う・・・
     手は2本で、手の指は5本で、5+5=10 5×2=10 で、10本の指の個数であるが、指に[順序]与える合掌の行為にすると【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の和は、11 と生り計算(数学)の始原が観える。
     茶道の慣用句から、[一より習い十を知り十より戻るその一]が合掌の動作に潜んでいる。
     55÷5=11 が十進法の一桁と二桁をセマンティックスし桁表示をシンタックスしていると観タイ・・・
     割るという行為が、数の単位構造を創り出し、このことが身体の動作と合致している。
     数学符号(+-×÷√=)も、身体の動作から眺めて行きたい・・・

     刀模様の物指は、[十の五色の五蘊物指]の模様の姿である。

    • コメントありがとうございます!返信遅くなり申し訳ありません。
      1~10の結びつき、めちゃめちゃおもしろいですね!
      咳を止めるために、物を集める場面を数字に置き換え、それが最後に1に戻るという見方を見た時は、その符号性に思わず鳥肌が立ちました。
      合わせて、合掌を数字で対応させてみた時の、合計が11になるということにも。
      これまで、指の数を数える場面はたくさんあっても、それを数字に置き換えることはなかったので、いかに言葉が優位な世界で生きているのか思い知らされた気分です。
      指の10本、手のひらの2つ、これらを足したり、掛けたりすることでわかる数字の不思議は、わかりやすさとおもしろさから、子どもが数学の扉を開くのにぴったりだと思いました。
      子どもに関係のある事象に、数字遊びのような形で、数学的な視点のおもしろさを日常的に伝えてくれる人の存在は、きっとものすごく重要なのでしょうね。
      今回のコメント、本当に目からウロコでした!いつも新しい視点をありがとうございます!

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