文:斉藤洋 絵:山本孝 出版:偕成社
江戸時代の本所に伝わる七不思議。
それはどれも不気味で恐ろしいものばかり。
そんな七不思議を、とてもシンプルにわかりやすく描き出した絵本です。
あらすじ
江戸時代のお話です。
本所は隅田川の東側にある、寂しい土地。
そこには七不思議がありました。
1,おいてけぼり
江戸時代の本所の辺りには、川や堀が多く、魚がたくさん釣れました。
でも、たくさん釣れた帰り道に掘りの近くを通ると、水の中から「おいてけ~」という不気味な低い声とともに、堀の中から青白いたくさんの手が。
知らん顔して帰った釣り人が、魚でいっぱいのびくをのぞくと・・・。
2,あしあらいやしき
ある旗本の屋敷の天井は夜になると、天井を破って大きな足が出てきます。
その足が「足を洗え~!」と言ってくるので、洗ってやると引っ込みます。
それが毎夜続くのです。
しかも、足を洗わないと・・・。
3,おちばなきしい
松浦という侍の屋敷の庭に、見事のしいの木がありました。
しかし、そのしいの木は、どんなに風が吹いてもなぜか葉が一枚も落ちませんでした。
不気味になった侍の一家は屋敷から逃げていきました。
その後、屋敷には誰も住んでいないのですが・・・。
4,たぬきばやし
真夜中になると聞こえてくる笛や太鼓の音。
音の出所を探しに行くと、さっきまでとは違う方から聞こえてきます。
そうしているうち、自分がどこにいるのかわからなくなって・・・。
5.かに葉のあし
駒留橋という橋の近くには、片側にしか葉がないあしが生えています。
なんでも昔、その辺りで女の人が死んだそうで、その女の髪とあしが・・・。
6,あかりなしそば
いついっても誰もいない屋台の蕎麦屋がありました。
その蕎麦屋の行燈の明かりは、油を足さなくても消えることはありません。
もしいたずらをして明かりを消そうものなら・・・。
7.おくりちょうちん
帰りが遅くなり、提灯を持たずに歩いていると、先の方で揺らめく明かりが。
「これ幸い」と、明かりを求め追いかけますが、いつまで経っても追いつけません。
気が付くと道に迷って知らない所に来ています。
でも、この時、化かされたのがタヌキならまだ運のいい方です。
これがもし、キツネなら・・・。
『本所ななふしぎ』の素敵なところ
- 七不思議ならではの絶妙な不気味さ
- とてもわかりやすくかみ砕かれた本所七不思議
- 絶妙な怖さで描かれる幽霊やオバケたち
七不思議ならではの絶妙な不気味さ
この絵本のなによりおもしろいところは、七不思議という独特の怪談話でしょう。
七不思議というのは、オバケの話というより、都市伝説に近いもの。
ゆえに、怖さのベクトルが、直接的な怖さでなく、ゾクッとする不気味さに向いています。
これが、なんともおもしろい。
怖さは恐怖心を刺激しますが、不気味さは好奇心を刺激します。
話を聞いて、怖がり身を寄せ合いますが、その中でも自然と七不思議の原因を考えてしまうからおもしろいもの。
『おいてけぼり』なら、
「あの手に持ってかれたのかな?」
「キツネに化かされたんじゃない?」
「その手は誰の手だったのかな?」
『あかりなしそば』なら、
「のっぺらぼうの屋台なんじゃない?」
「なんで、明かりが消えないんだろう?」
「透明人間がいるのかな?」
などなど、不思議が不思議のまま終わるので、怖いけれど考察してしまうのです。
また、怖いとも限らずに、『たぬきばやし』や『あしあらいやしき』のように、どこか困ったような笑ってしまうようなものが混ざっているのも、七不思議ならでは。
この、「怖い話」ではない、「七不思議」だからこその怖いような不気味なような、でも、絶妙に好奇心を刺激され目を離せなくなってしまうところが、この絵本のとても大きな魅力です。
とてもわかりやすくかみ砕かれた本所七不思議
そんな、おもしろい本所七不思議ですが、江戸時代のお話で、しかも落語などになっているようなもの。
時代背景的にも、元々の話の作り的にも、幼児など小さい子が聞くには難しいもののはずです。
けれど、この絵本ではそんなことが気にならないくらい、わかりやすくかみ砕かれて描き出してくれています。
例えば本所の説明文は、
「江戸時代のお話です。本所は隅田川の東側にあって、まだまだ寂しいところでした。」
というように、無駄な文章がほとんどなく、墨田川という川がわかれば、なんとなくイメージがつくようになっています。
これに、絵が加わるので、すぐに今から七不思議が起こる本所のイメージが頭の中に出来上がります。
これは七不思議の中身も一緒で、1つに着き2~3ページほどの程よい分量かつ、わかりやすい文章でサクサクと進んでいきます。
そのわかりやすさは、舞台が江戸時代とは思えないほど。
しかも、その中で不気味さや、話の盛り上がりはしっかりと押さえてあるからすごいとしか言いようがありません。
7つもある上、ひとつひとつがコンパクトなのに、そのインパクトは抜群で、子どもたちの背筋を凍り付かせます。
この、本所七不思議という古典をこんなにもわかりやすく、幼児でも楽しめるほどかみ砕いてくれているのに、本所七不思議の持つおもしろさがそのまま詰まっているという見事な物語の描き方も、この絵本のとてもすごいところです。
絶妙な怖さで描かれる幽霊やオバケたち
また、この不気味さとわかりやすさの両立には、欠かすことのできないある要素があります。
それが、七不思議を見事に描き出している絵です。
江戸時代という少し想像しにくい世界観の補完のために、この絵は欠かせません。
絵を見ただけで、「旗本」→「お殿様」、「江戸の町」→「時代劇の町」のように、自分の中で馴染みあるイメージに変換され、物語に集中しやすくなります。
もちろん、オバケや幽霊の怖さ、不気味さの多くもこの絵が担ってくれています。
堀からのびてくる手の、巨大だけれど細く青白い見た目は、巨人のような力強い恐怖ではなく、背筋が凍るような不気味な怖さを。
『かに葉のあし』に出てくる死んだ女は、目を逸らしたくなるほど恨めしい表情をしているし、
街はずれの雰囲気は、オバケがいないのにもう戻れないような予感がします。
さらに、妖怪のようなオバケたちは、ほどよくデフォルメされながらも、不気味さがしっかり残り、やはり背筋を凍り付かせてくれるものになっています。
例えるならば、水木しげるの描く妖怪でしょうか。
リアル路線で描かれたオバケのようなショッキングな怖さはなく、頭身が低く丸みを帯びたデザインなのですが、しっかりと不気味で怖い。
だからこそ、怖いのに何度もじっくりと見てしまうのでしょう。
「怖い」と言い、手で顔を覆いながらもついついまた絵本を開いてしまう。
特に、怖がりの女の子が「ここのページは怖いから開かないでね!」と言いながらも、友だちと何度もこの絵本を開いてオバケたちを見ている姿がとても印象的でした。
怖いけれど怖すぎず、でも、怖いもの見たさにまた開きたくなるくらい怖いという、本当に絶妙な怖さ、不気味さなのだと思います。
この、本所七不思議の持つ怖さや不気味さという魅力を大いに引き上げ、また、その物語をわかりやすく伝えてくれている絵もまた、この絵本のとても大きな魅力の1つです。
二言まとめ
本所七不思議という古くから伝わる怪談話を、現代の小さな子でも楽しめるよう、わかりやすくかみ砕いて描かれた。
「怖い」より「不気味」で「不思議」という、七不思議ならではのおもしろさが凝縮された怪談絵本です。
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