文:常光徹 絵:野村たかあき 出版:童心社
昔々、若者がキツネを助けてやると、恩返しにいいことを教えてくれた。
教えてくれた通りの場所へ行くと不思議な羽衣を見つけたので持って帰った。
すると、羽衣をなくして帰れなくなったという天女が宿を求め訪ねてきたではないか。
若者は天女と過ごすうち結婚して子どもも生まれた。
羽衣のことは隠したままで・・・
あらすじ
昔、人を馬鹿して悪さをするキツネがいた。ある時、キツネを若者が追い詰め懲らしめようとすると、キツネは若者に助けを求めた。あまりに一生懸命なものだから、若者はキツネを見逃してやることにした。
ある日、助けたキツネがやってきて、若者に谷川の奥の一本松にいいものがあるから言って見るように伝えた。若者が行ってみると一本松に輝く衣がかかっている。若者は輝く衣を持って帰り納屋の奥に隠したのだった。
日が沈みかけた頃、若者の家を美しい娘が訪ねてきた。娘はたなばたという名前で、天から降りてきたが水浴びをしている間に羽衣をなくしてしまい帰れなくなったというのです。若者はすぐに自分の見つけた羽衣のことだと気付きましたが、本当のことを言わずたなばたを泊めてやることにした。
天に帰ることができないたなばたは、1年が過ぎる頃若者と夫婦になり子どもも1人できていた。若者もよく働き2人は幸せに暮らしていた。
しかし、子どもが3つになった年のこと。子どもが納屋に隠してあった羽衣を見つけてしまった。たなばたは悲しげな表情をすると羽衣を身にまとい、子どもを連れて天へと昇っていってしまったのだった。
帰ってきた若者は家に誰もいないことに驚き、すぐに納屋の羽衣を確認した。すべてを悟った若者はすっかり落ち込んでしまい、それ以来泣き暮らす日々を過ごしていた。
すると、またキツネが現れて、大きな羽を作れば天まで吹き飛ばしてやると言ってきた。男は寝るのも忘れて羽を作った、羽が完成すると、キツネが力任せに息を吐く。すると、若者は空の彼方へと飛んでいき、本当にたなばたの元へたどり着くことができたではないか。
天までやってきた若者にたなばたも子どもも喜び、また3人で暮らすことになった。
ところが、若者をよく思わなかったのが、たなばたの母神だ。母神は毎日若者に無理難題を押し付けた。
「大きな岩を運んでこい」
「大量の粟をまいてこい」
「撒いた粟を一粒残らず拾ってこい」
そのたびに、たなばたが助言をしてくれ、若者はなんとか母神の言いつけをこなしていたのだった。
ある時、母神が若者に瓜畑の番をするように言った。たなばたはいつも通り若者に助言をくれた。「畑のウリはどんなことがあっても食べてはいけない」と。
けれど、番をする日はかんかん照り。若者はどうしても喉が渇き、「1つだけなら・・・」とついにウリを割ってしまった。そのとたん、畑中のウリが割れ、ウリの中から水が溢れ出しあっという間に大水になってしまった。若者はみるみる水に流されていく。
流されていく若者にたなばたは、「月の7日に会いましょう」と大声で叫んだ。しかし、水音にかき消されよく聞こえない。若者は「7月の7日かやー」叫びながら流されていってしまった。
こうして、ウリから溢れ出した大水は天の川となり、年に1度7月7日に天の川を渡って2人が会うことが七夕の始まりなのだと。

めでたしめでたし!
『たなばたにょうぼう』の素敵なところ
- 日本の民話版七夕伝説
- 彦星に通じるものがある自業自得感にヤキモキさせられる
- 絶対やるのが確信できる「やっぱりー!」とツッコみたくなる最後のフリとオチ
日本の民話版七夕伝説
この絵本のとてもおもしろいところは、日本で民話化した七夕伝説を見せてくれるところです。
七夕の由来や伝説というと、中国における原典をもとにしたものが一般的。ですが、この絵本で描かれる七夕伝説は中国から伝わってきた七夕伝説が庶民の間に広まって、それぞれの地域で形を変えていったもの。まさに日本の昔話としての七夕伝説なのです。
日本で言い伝えられているものだからなのか、登場人物や話の流れにピッタリと馴染む感覚がなんともおもしろいところ。桃太郎がすんなり入ってくるように、さるかに合戦を当たり前にみるように、言葉ではうまく言えない「これこれ!」という感覚があるのです。

鶴の恩返しみたいだね
と、子どもの中でも「これこれ!」という感覚はあるようで、それぞれの場面と他の昔話を重ね合わせていました。
おそらく、物語の始めがキツネの恩返しから始まったり、突然泊めて欲しいといってきた娘と結婚したり、嘘が途中でバレたりといった、昔話特有の型を感じるからなのでしょう。おもしろいのはもちろんのこと、不思議な安心感もあるのです。
しかも、日本の昔話から七夕や天の川に繋がっていくからおもしろい。中国の七夕伝説を知ってると、その違いにより楽しく見られること間違いなし。ぜひ、中国の七夕伝説と一緒に日本に根を張った七夕伝説も読み聞かせてあげてください。
大きい子には、なんで中国の七夕伝説から、たなばたにょうぼうへ変化していったのかという流れも合わせて伝えてあげると、物語や昔話のおもしろさがより感じられると思いますよ。
彦星に通じるものがある自業自得感にヤキモキさせられる
日本版七夕伝説のなんともおもしろいのが、若者と彦星に通じるものがあるところです。
若者も彦星も一生懸命で純粋な若者。けれど、どちらも自業自得感がすごいのです。彦星は仕事をまったくしなくなり天帝の怒りを買い、若者は羽衣を隠したりウリを割ってしまったりと打算や欲望に負けてしまいます。
内容は全然違うのに、なんとも既視感のある最愛の人と離れ離れになる原因。まさに彦星を模したキャラクターであることが感じ取れることでしょう。
この人間臭い若者が巻き起こす物語がおもしろくないはずありません。羽衣を隠す場面を見て、



ひど!泥棒じゃん!



絶対バレるって!
と若者の行動にヤキモキする子どもたち。そして、予想通りたなばたにバレて、



やっぱり~
と呆れ顔。母神に若者が疎まれている様子を見ても、



たなばたのこと騙してたからな~
と母神の気持ちを汲み取られ、若者は中々肩身の狭い立場になっていたのがとても印象的でした。
でも、根は真面目で、たなばたや子どもを間違いなく愛している姿はなんだか憎めず、空を飛んでまで追いかける姿には幸せになってほしいと心から応援してしまうんですよね。
この、彦星とどこか通じるものがある人間臭さのせいで、紆余曲折あり過ぎる呆れつつも憎めない物語もこの絵本のとてもおもしろいところです。
絶対やるのが確信できる「やっぱりー!」とツッコみたくなる最後のフリとオチ
この自業自得な若者のヤキモキ感が、最高に詰まっているのが最後の場面。母神から瓜畑の番を頼まれた時のことです。この最後の場面の流れと結末が完全にコントとしか思えないほど完璧なフリとオチなのもこの絵本のとても盛り上がるところです。
無理難題を押し付けられ、そのたびにたなばたが助言をしてくれなんとかなってきた若者。子どもたちも無理難題を知恵を使って解決していく流れに慣れてきます。ここで改まって場面が変わり、瓜畑の番をすることに。これまでの無理難題に比べれば大したことがないように聞こえます。
けれど、たなばたの助言がこれまでにないくらい真剣なのです。しかも内容は「畑のウリは、どんなことがあっても食べてはなりません。これだけは忘れないで」と何度も念を押す徹底ぶり。完全にフリにしか見えません。



絶対、食べるじゃん!



あー、やめてー!
と子どもたちも完全に未来を予測します。
ページをめくるとかんかん照り。若者も「いやぁ喉が渇いてたまらんわい」と言い出す始末。フラグがビンビンに立っています。



あー!絶対食べちゃダメだからね!
と必死で止める子どもたち。そんな願いも虚しくウリを割る若者。溢れ出る大水。



やっぱりー!



食べちゃダメってあんなに言われたじゃーん!
子どもたちは呆れつつも大盛り上がり。見事な自業自得感とコントのように完璧な流れでものすごい一体感を生み出していました。
天の川によって離れ離れになる悲しい場面なのに、中国の七夕伝説より悲恋感がないのはなぜなのでしょう。「2人が今年も会えたらいいな~」というより「あーおもしろかった!」となんだかすっきり終わってしまうのです。この「めでたしめでたし」じゃなくてもすっきりおもしろく終わる感じも、日本の昔話ならではなものを感じますよね。
ぜひ、フリから完璧過ぎる、ツッコミを入れざるを得ない最後のオチをみんなで楽しんでください。これまでと織姫・彦星の見方が変わってしまうかもしれませんが・・・
二言まとめ
日本民話としての七夕伝説というあまり見たことがないけれど、ものすごく安心感と親近感のあるいつもと違う七夕物語がおもしろい。
若者の自業自得過ぎる展開に思わずツッコミを入れたくなる、呆れつつも大笑いしてしまうちょっと変わった七夕絵本です。
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