文:正岡慧子 絵:松永禎郎 出版:世界文化社
子キツネのお母さんは死んでしまいました。
でも、子キツネは死んでしまったことを知りません。
ある日、農家の親子を見ていると笹に短冊を飾っています。
願いが叶えるためだと知った子キツネは、葉っぱに足跡をつけると農家の笹にこっそり結びました。
願い事はもちろん「お母さんが帰ってきますように」・・・
あらすじ
ある山に、子キツネがお父さんと暮らしていました。
子キツネは、お母さんが遠くへ行ってしまう夢をよく見ていました。お母さんは猟師に撃たれ死んでしまっていたのです。でも、子キツネはお母さんがもういないことを知りませんでした。
お母さんの夢を見たときは、山の麓の農家へやってきます。農家では小さな男の子とお母さんがいつも遊んでいたからです。親子の姿を見て、子キツネは自分とお母さんが一緒にいた頃のことを思い出しているのでした。
この日も、親子は庭にいて、なにやら笹にきれいな色紙をぶら下げています。どうやら願い事を笹に飾っているようで、男の子はお父さんの病気が治るようにお願いしたみたいです。
人影がなくなると、子キツネは笹のそばへ行ってみました。短冊を見つけ、この短冊がお願いだとわかった子キツネ。さっそく山に帰ると、山芋の葉にノアザミの花の汁で足跡をつけ「お母さんが帰ってきますように」と願いを込めたのでした。
夜になり、子キツネは山芋の短冊を持ってまた農家へ行きました。笹に自分の短冊を飾るためです。親子が花火をしていたので誰もいなくなるのをじっと待ち、子キツネは笹に自分の短冊を結びつけると、「お願いします」とつぶやきました。
数日が経ち、子キツネはまたお母さんの夢を見ました。いつも通り農家に行ってみると、男の子がお父さんと一緒にいます。男の子の願いは叶ったのです。でも、子キツネの願いは叶いません。子キツネは字を書かなくてはいけなかったんだとがっかり。
それ以来、毎日穴の中で寝てばかり、夢の中でお母さんに会うことを楽しみに生きていました。子キツネは日に日に痩せていきました。
ある日、子キツネが穴の外を眺めていると、1匹のキツネが見えました。お母さんだと思い立ち上がろうとする子キツネでしたが力がなくて立てません。すると、そのキツネが子キツネへと近づいてきたではありませんか。
けれど、近くで見るとそのキツネはお母さんではなく、かわいいメスの子キツネでした。メスキツネは子キツネが倒れているのを見ると食べ物を持ってきてくれました。
季節が巡り、子キツネはお父さんになっていました。助けてくれたメスキツネと結婚し子どももたくさん生まれたのです。幸せに暮らすお父さんキツネ。けれども、あの七夕の日の出来事と短冊に込めた思いを1度も忘れたことはありませんでした。

おしまい・・・
『きつねのたなばたさま』の素敵なところ
- 子キツネがお母さんの死を乗り越えていく悲しみと成長の物語
- たくさん考えて、心からの願いを込めて作った短冊
- 別れを乗り越えさせてくれた大切な出会い
子キツネがお母さんの死を乗り越えていく悲しみと成長の物語
この絵本のなにより心に残るのは、子キツネがお母さんの死を乗り越えていくという重たく悲しいけれど、とても大切な物語です。
お母さんの死を知らず、いつか会えると思っている子キツネはいつも寂しい思いを抱えています。お母さんの夢を見た時に人間の親子を見ながらお母さんとの時間を思い出す姿などは、思わず胸を締め付けられるほど悲しみや寂しさがにじみ出ています。
子どもたちも、

かわいそう・・・



寂しよねと・・・
と子キツネに心を寄せ、寂しい気持ちに共感しているようでした。
全体的に物悲しく重たい空気が流れているこの絵本ですが、子キツネもずっとそのままではいられません。物語を通して成長し自立していきます。でも、小キツネの成長の裏には常にお母さんの死が見え隠れし、ずっと子キツネの心の重要な場所にあることが感じられるのがとても素敵。
親しい人の死というものの、時には押しつぶされそうになり、乗り越えて幸せを手にした後もどこか心に引っかかっている・・・。死が人生に与える影響をありのまま描き出しているように感じられるのです。
この、子キツネがお母さんの死を乗り越え自立していく成長とともに、死というものの重みを物語だけでなく絵本全体から感じ取らせてくれるこの絵本独特の雰囲気が、この絵本のとても素敵なところです。
たくさん考えて、心からの願いを込めて作った短冊
子キツネは人間の親子を見て1つの希望を見つけます。短冊に願いを書けば叶うという七夕の風習です。
でも、キツネにとっては少しも馴染みがない風習。そもそも短冊というものも知りません。そんなキツネには馴染のない風習を願いを叶えたい一心で、なんとか自分も参加しようと一生懸命考え試す姿もこの絵本のとても素敵な見どころとなっています。
子キツネは親子が飾った短冊をじっくりと見て、どうすれば願いが叶うのかを理解します。でも、キツネに短冊は用意できないし、字を書くこともできません。考えながら山を歩き回る子キツネが見つけたのは山芋の葉っぱでした。さらにノアザミの汁を足に塗り足跡をつけるという、キツネ式の願い事の書き方も。



ほんとに短冊みたいだね!
と子キツネの短冊を褒めながらも、子どもたちの表情はスッキリしません。だって、お母さんはもう死んでいるから。生きていると思って願いを書く子キツネと、もう死んでいて会えないとわかっている子どもたちの願い事を見る目の違いがなんとも苦しい場面です。
実現不可能に見える願い事ですが、子どもたちは物語の軌跡を信じます。もしかしたらなにかしらの形で会えるんじゃないかという希望を。けれど、シビアでリアルなのがこの絵本の苦しいところであり素敵なところ。夢ですら会うことは叶いません。死とはそれほどに思いどおりにはならないものなのです。



ダメだったね・・・



キツネさんかわいそうだね・・・
としんみりとしてしまう、なんとも悲しく苦しく希望のない場面なのでしょう。
この、願いを込めて一生懸命考え作った短冊への期待感と、うまくいかない理不尽さもこの絵本のとてもシビアでリアルな死の辛さを感じさせてくれるところです。
でも、物語の結末を見ると、願い事が叶いお母さんに背中を押されなくてよかったのだろうなと思えてくるから、この絵本は本当にすごいなと思わされます。
別れを乗り越えさせてくれた大切な出会い
ずっとお母さんに会うことを生きがいにしていた子キツネにも、変化と自立の時が訪れます。この変化と自立のきっかけが死者からの言葉ではなく新たな出会いというのもまた、この絵本のとても素敵で力強いところです。
子キツネは願いが叶わなかった絶望のために、何もする気が起きなくなり寝て暮らすようになりました。そして、立ち上がれなくなるほど衰弱した時にメスの子キツネと出会うのです。このメスの子キツネとの関わりが、子キツネに生きる希望を与えます。
メスの子キツネと出会ってからのことは、絵本の中で深くは語られません。出会いからページをめくったら、子キツネはもうお父さんになっているからです。でも、子どもたちと一緒に暮らし幸せそうな子キツネからはお母さんの死を乗り越えたことを感じます。



よかった!元気になったんだね!



もう寂しくないね!
と、子どもたちも嬉しそう。ずっと悲しい出来事が続いてきたこともあり、とても救われた表情でした。ただ、幸せで嬉しい結末なのですが、どこか物悲しい空気感は最後の場面でも流れているのが印象的。
「けれども、きつねは、あの日のことをわすれたことはありませんでした。星空の下で、サラサラと揺れていたきれいな短冊と、1枚の葉に込めた、あの願いのことを・・・。」
という言葉で締めくくられるように、幸せな中でもお母さんの死が心の引っかりになっているのでしょう。死というのもが簡単には「めでたしめでたし」にならないことをこの絵本は突きつけてくるのです。
また、子キツネがお母さんの死を乗り越えるきっかけが死者からの言葉ではなく、新たな出会いというのもこの絵本らしいなと思うところ。死の持つ厳しさと理不尽さを乗り越えるために本当に必要なのは過去ではなく未来に目を向けることなのだと、力強く伝えてくれているように感じるのです。
この、最初から結末に至るまでお母さんの死というものを、悲しさも苦しさも寂しさも飾り気なく誠実に描き出す中で、それでも子キツネが自立していく生きるものの力強さを感じ取らせてくれるところも、この絵本のとても素敵で心が詰まるところです。
二言まとめ
お母さんの死という大きすぎる喪失を、子キツネの姿を通してシビアにリアルに誠実に描き出した。
新たな出会いをきっかけにして、子キツネがお母さんの死とともに生きていく自立と成長の七夕に読みたい物語です。
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