今回は僕が祖父との別れを通して感じた、お葬式という儀式が持つ大きな意味と重要性について書きたいと思う。
僕はお葬式の持つ重要な意味合いは「終わらせてくれる」ということだと感じた。
きっとそんなことは当たり前だと思うかもしれない。
頭の中ではわかっているし、僕もわかっていた。
しかし、実際に体験してみて、「わかっているつもり」だったことに気付かされた。
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先日祖父が亡くなった。
90歳だった。
僕は東京に住んでいて、祖父は静岡に住んでいる。
以前はお盆、正月は家族と遊びに行っていたが、ここ2年くらいはコロナの影響で行けていなかった。
5年ほど前に倒れた影響で、車椅子での生活になり、老人保健施設に入って暮らしていた。
目はあまり見えなくなり、認知能力も落ちてはいたが、会いに行くと嬉しそうに名前を呼んでくれた。
「また東京に遊びに行かんとね」が口癖だった。
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祖父には4人の子どもと、6人の孫がいる。
夏休みなどは親戚一同みんな揃って、海やプールに連れて行ってくれ、農家にスイカを買いに行って食べたりした。
年末には一緒に年を越し、正月を一緒に過ごした。
お金の管理もしっかりしていて、倒れた時も、老人保健施設での費用も、自分でためたお金でまかなえた。
孫の目線から見ると、しっかりと生ききったように思えた。
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だから、亡くなったと言う知らせを聞いて、悲しみは感じなかった。
「ついにか」と思い、「大往生だったな」と感じた。
日曜日に亡くなり、葬式が水曜日だったので、忌引きを貰い通夜の前日に静岡に帰った。
新幹線の中、笑顔で見送れるだろうと思っていた。
むしろ、母の方を落ち込んでいないか心配していた。
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祖父の家に着くと、布団に祖父が寝ていた。
綺麗な顔をしていて、ただ眠っているようだった。
しかし、触ると驚くほどに冷たい。
肌は柔らかいのに物凄い違和感があった。
と、同時に祖父がこの世にいないことを実感させられた。
自然と涙が溢れていた。
泣きながら、しばらく祖父の手を握り、体を撫でていた。
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涙には波がある。
最初は祖父に触れ、死を実感した時。
次は棺に入る時だった。
納棺師がやってきて、化粧をし、衣服を着せる。
祖父の衣服にはスーツを選んだ。
祖父は出かけるのが好きで、その時に着ていたものだ。
昭和の人間だが、とても背が高くすらっとしていたので、スーツがよく似合うのだ。
納棺師は襖を閉めて、仕事をする。
そして、襖が開いた時、スーツを着た祖父が眠っていた。
化粧をしたため、顔色もよく本当に生きているようだった。
その姿を見て、生きていた時のことを思い出し、泣いた。
家族もみな泣いていた。
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最後の波が来るのは火葬をする時だった。
亡くなったことをこれまで痛いほど実感させられた。
だが、その体が無くなるという事実はとても重い。
顔を見ることも、触れることも出来なくなる。
本当に最後の別れの時だ。
正直、ここまで重いものだと思わなかった。
もう別れも済んでいるし、しっかり見送れると思っていた。
しかし、涙が止まらなかった。
家族も同様だった。
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火葬が終わるまでを待合室で待っている間、中々言葉が出なかった。
言葉を発したら、堰を切ったように泣いてしまいそうだったからだ。
時間が経ち、少し落ち着いて弁当を食べた。
この後は納骨があり、きっと泣くのだろうと思っていた。
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しかし、祖父の骨を見ても、不思議と涙が流れなかった。
家族もなく人はなかった。
ただ、「いなくなっちゃたんだな」と思った。
その時、「終わった」ことがはっきりとわかった。
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その後は不思議と悲しみを感じることはなかった。
家族の雰囲気をみても同じだったのだろうと思う。
火葬して、体が無くなったことで、「別れに終わり」が告げられたのだと感じた。
でも、火葬だけではだめなのだと思う。
死を実感し、生きていることを思い出し、最後の体にも別れを告げる。
このプロセスがあったからこそ、「別れを終わらせる」ことが出来たのではないだろうか。
この体験で、お葬式は「別れを終わらせる」儀式なのだと感じた。
後を生きる人が前を向くための儀式なのだと。
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近しい人、思い出のある人であればあるほど、お葬式の一連の流れに参列してほしいと思う。
そして、「しっかりとお別れする」ことで、前を向いて進めるようになってほしいと願っている。
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