作:戸田和代 絵:沢田としき 出版:すずき出版
小さい時に生き別れになった父さんクジラ。
父さんクジラは吹いた潮が、月に当たるほどのすごいクジラ。
それを聞き、子どものクジラは父さんを探しに世界を巡る旅に出ます。
あらすじ
月夜の海で、クジラのぼうやと母さんが話をしています。
ぼうやは月の大きさや重さを母さんに聞き、母さんはそれに答えます。
話が月の高さになった時、母さんは潮を吹いて、月の高さを確かめようとしましたが、月には全然届きません。
母さんは言いました。
「父さんだったらわかるのに・・・」と。
父さんは潮を吹くと、月に当たって雨になって落ちてきたほどのすごいクジラだったようなのです。
ぼうやは父さんがなぜいなくなったのかを聞きました。
父さんはぼうやが小さい頃シャチの群れに襲われて、母さんとぼうやを守るため、一番大きなシャチに食いつかれたまま海の底に沈んでいったのだということでした。
ぼうやはその話をずっと忘れませんでした。
そして、ぼうやが大きくなり旅に出る日がやってきました。
ぼうやは父さんを探す旅に出るのです。
ぼうやが旅に出てからある日のこと。
ウミガメに会いました。
ウミガメはぼうやを見て、「2番目にかっこいいクジラ」だと言います。
ぼうやが一番は誰か聞くと、ウミガメは「お腹に大きな傷がある、島と間違えるくらいでっかいクジラ」だと教えてくれました。
ぼうやは父さんだと思いました。
また、ある日。
オットセイに会いました。
オットセイはぼうやを見て「いつか見たすごいクジラにそっくりだ」と言いました。
ぼうやがオットセイに潮を吹いて見せると、すごいクジラはもっともっと高く潮を吹いたと言うのでした。
ぼうやは世界中の海を周りましたが、父さんには会えませんでした。
ぼうやは父さんが死んでしまったのかもしれないと思い始めました。
そんなある日、ぼうやは突然シャチの群れに襲われました。
暴れてももがいても襲ってきます。
「もうだめだ」
と思った時、どこからか声が聞こえてきました。
「潜れ潜れ、深く深く潜るんだ」と。
ぼうやはその声に従い、深い深い海の底へ必死に潜っていきました。
ぼうやはシャチを振り切ることが出来るのでしょうか?
あの声は誰の声だったのでしょう・・・。
『つきよのくじら』の素敵なところ
- 詩的でロマンチックな母さんとの月夜の会話
- 父さんの手がかりが見つかっていくワクワク感
- 色々な見方が出来る最後
この絵本の冒頭は、母さんとぼうやの月に関するやり取りから始まります。
もうこの出だしから、ぼうやの質問への答えが詩的で表現力と魅力に溢れているのです。
月の大きさを聞かれた母さんは、海に映し出された月のまわりを一周して言います。
「そんなに大きくないみたい」
月の重さを聞かれた母さんは、海の月を背中に乗せて言います。
「案外軽いみたい。だからお空に浮かんでいるんだね」
海に映る月を、本物の月に見立てて確かめてみる想像力とぼうやとの会話が本当に優しく素敵で、ロマンチックなのです。
そして極めつけは、月の高さです。
こればかりは本物の月で確かめるしかありません。
そこで出てくるのが、父さんの話です。
父さんが潮を吹くと、「お月さまに当たって雨になって落ちてくるほど」だと言います。
この表現のなんて詩的なことでしょう。
表現の美しさだけでなく、潮が吹きあがったあと、パラパラと飛沫が降ってくる様子が自然と想像出来てしまうのがまた素敵です。
冒頭のやり取りを見ただけで、素敵な本だというのが伝わってくるのです。
さて、ぼうやが大きくなり、いよいよ父さん探しの旅が始まります。
でも、ぼうやの希望とは裏腹に、子どもたちは不安です。
なぜなら、父さんがシャチに襲われた話を聞いて、「死んじゃってるかも」と思っているから。
しかし、父さんの情報が少しずつ見つかっていきます。
「お腹に大きな傷がある」
「潮を物凄く高く吹く」
ぼうやと一緒に「父さんは生きていて会えるかも!」という期待とワクワクが高まっていくのです。
この旅の中で希望が見えてくる感覚がたまりません。
子どもたちの間からも「父さんだよ!」「生きてるのかな!」「父さん見てみたい!」と期待の声が聞こえてきます。
そんな冒険の最後は色々な見方が出来るものでした。
「父さんに会えたのか?」
「父さんは生きているのか?」
一人一人、違った捉え方が出来る最後です。
ここに広がりを持たせ、それぞれの物語を想像できるようになっていることで、よりぼうやに気持ちを重ねられるのだと思います。
クジラのぼうやと冒険し、ワクワクとドキドキを感じつつ、ロマンチックで美しい表現や言葉にもたくさん出会える絵本です。
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