文:松谷みよ子 絵:長野ヒデ子 出版:フレーベル館
嫌われ者の貧乏神。
そんな貧乏神を、とても大切にしてくれる夫婦がいました。
そんな扱いをされたことのない貧乏神は・・・。
あらすじ
昔、貧乏なあにさが、古い壊れた家に住んでいた。
ある日、そんなあにさの元へ、嫁様が来ることになった。
結婚の宴を、屋根裏から見ていたのは貧乏神。
「貧乏神がいるとも知らず、気の毒、気の毒」と思っていた。
若い夫婦は、そんなことなどつゆ知らず、よく働いた。
嫁様は優しくて、家の神様を大切にした。
困ったのは貧乏神だった。
こんなに大切にされたのは初めてで、段々力が抜けていく。
若い夫婦はよく働いたので、段々暮らしも楽になってきていた。
そんな3年目の年越しの日のこと。
正月の準備をする夫婦に鳴き声が聞こえてきた。
元をたどってみると、貧乏神が泣いていた。
話を聞くと、「夫婦がよく働くので、この家にはいられなくなり、代わりにもうすぐ福の神が来る」のだそう。
それを聞き、夫婦は「ずっと家にいてくれたんだから、出ていく必要はない」と言った。
そして、貧乏神に元気を出してもらうため、年越しのごちそうを振舞った。
貧乏神は食べるうち、元気を取り戻していった。
そのうち、除夜の鐘が鳴り出した。
鐘とともにやってきたのは福の神。
貧乏神に出て行けと言う福の神に、貧乏神は立ち向かい、相撲で決めることになった。
やはり、福の神は強い。
しかし、貧乏神には夫婦の応援がついている。
この大一番の結末やいかに。
『はっけよいのびんぼうがみ』の素敵なところ
- とても大切にされる貧乏神
- 張り切る姿に、自然と貧乏神を応援してしまう面白さ
- 貧乏神がついていても、大切なのは自分の行動
貧乏神と言えば悪いもの。
家からは追い出さないといけないものと相場は決まっています。
ですが、この絵本では家の神様として、とっても大切にされています。
もちろん、最初は貧乏神だと知りません。
でも、貧乏神だとわかっても、家の神様として大切にする気持ちが変わらないのが素敵なところ。
「貧乏神がいなかったら、もっと裕福になっていたのに」と恨むことはありません。
きっと、地に足をつけ、今の幸せをかみしめているからなのでしょう。
見守っていてくれたことに、感謝の気持ちまで伝えてくれます。
また、大切にされればされるほど、力が抜けていくのも貧乏神らしくておもしろいところです。
ひょろっとした絵と相まって、貧乏神らしさが思い切り出ています。
そんな貧乏神らしい貧乏神が、夫婦に応援されて、ごちそうを食べて、追い出されないように頑張る姿を見れば、自然と応援してしまいます。
さっきまで泣いていた貧乏神が、ヒョロヒョロの体で「ようし、福の神なんど、一歩も入れねえぞ」と意気込む姿を見たら、「頑張れ!」と思ってしまいます。
相撲を取る時だって、明らかに勝てなさそうな体格差で組み合います。
もう「貧乏神頑張れ!」にも力がこもってしまいます。
まるで、若い夫婦の横で一緒に応援している気分。
読み始める前「うわぁ、貧乏神だ」「嫌だな」と言っていた子が、自然と「貧乏神頑張れ!」「貧乏神がいてもいいかも」になっているのが、とっても素敵なのです。
しかし、この絵本の一番素敵なところは、夫婦のまっすぐさにあるのではないでしょうか。
「今」の幸せを見つめて、楽しく真面目に働く夫婦。
福の神をうらやむわけでもなく、貧乏神を疎ましく思うわけでもない。
守り神に感謝はしながらも、それに頼らず、まっすぐに行動して、自分たちの力で暮らしを楽にしていく。
きっと、自分の力で生きているからこそ、守り神が貧乏神だったと知っても、大切に出来たのではないでしょうか。
貧乏神の負の力に負けないくらい、一生懸命働く幸せそうな夫婦の姿。
それを見て、いつも嫌われ者の貧乏神を、力いっぱい一緒に応援したくなる絵本です。
コメント